横浜アザミロータリークラブ
横浜あざみロータリークラブ/YOKOHAMA AZAMI ROTARY CLUB ROTARY INTERNATIONAL
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2017~2018年度・卓話
例会日 タイトル 卓話者
 3月14日 江戸時代中期の三美人
~笠森おせん、柳屋お藤、蔦屋およし~ 
大野 粛英 様(横浜港北RC) 
 3月7日  ブータンとネパールで暮らして 栗林 麻央 様 
2月14日  「インターネット時代の自然読解」
ーリスクマネージメントの視点からー
泉 耕二 様  
 12月6日 献血の現状について   田中 由紀子 様(神奈川県赤十字血液センター) 
  11月29日  18歳選挙時代の変化と若者の政治参画   原田 謙介 様
(NPO法人 Youth Create 代表理事
  11月15日     森川 奈央子 様(R財団学友) 
  11月7日  私のロータリーモーメント   田口 絢子 様(盛岡北RC) 
 9月27日 ロータリー:変化をもたらす  ガバナー 湯川 孝則 様(横浜西RC) 
 8月23日 会員増強月間卓話  三間 悌司 様(川崎西RC) 
7月12日 すべての子どもにチャンスを与えよう 横山 正弘 様
(特定NPO法人 Living in Peace理事) 
 
 
3月14日 江戸時代中期の三美人~笠森おせん、柳屋お藤、蔦屋およし~
大野 粛英 様(横浜港北RC)
 江戸中期(明和期、1764〜71年)は、江戸文化の爛熟期だった。江戸時代の錦絵は、風俗や流行を伝える情報媒体であり庶民が気軽に楽しむものであった。
 江戸の美人画といえば、鈴木晴信や喜多川歌麿などが描いた錦絵が有名である。江戸時代の庶民の顔は、女性は顔幅が広くしゃくれた鼻で、おかめ型である。しかし晴信の錦絵には、瓜実顔で鼻筋が通り涼しい目元に小さな愛らしい唇で理想的な美人が描かれた。江戸では浅草寺、芝の神明、湯島天神、市ヶ谷八幡などの境内や参道などに水茶屋が並んでいた。水茶屋とは朝店を開き夕方には椅子や提灯を片づけて店を閉めてしまう、よしず張りで椅子を並べた簡素な休憩所である。谷中笠森稲荷境内の水茶店“鍵屋のおせん”は、江戸市中の人気をさらった評判の看板娘で、現代風に言うと評判のアイドルであった。
 錦絵の元祖・鈴木晴信は、笠森おせんを浮世絵に描いて大当たりし、大変な町娘ブームが起きる。おせんは18歳頃で、化粧っけのない清純派の美人で素顔がチャームポイントだった。笠森稲荷への願かけには、土の団子をあげて願が叶えば米の団子を供えたが、見物客は願かけよりもおせんを見たさに押し寄せた。明和期の評判の三美人は、笠森稲荷・鍵屋のおせん、浅草寺境内奥山の楊枝店・柳屋のお藤、浅草寺境内の茶屋・大和屋蔦屋およしである。
 浅草寺の楊枝店・柳屋のお藤は、豊満なポッチャリ美人で白粉が似合う都会的な美人である。蔦屋およしは愛嬌良しであり、三美人はそれぞれ特徴があった。彼女たちの店にお客が殺到し、名入り手ぬぐいや錦絵が売れて経済効果をもたらした。町娘を描いた錦絵は、現代のポスターのような役割を果たしていた。江戸では、おせんとお藤とどちらが美人かと噂をするようになった。おせんは手まり唄で、「向う横丁のお稲荷さんへ、一銭あげて、ざっと拝んでおせんの茶屋へ」と歌われていた。
 一方楊枝店・柳屋のお藤の楊枝店は、浅草寺観音堂の近く銀杏の樹の下にあり、「銀杏娘」と呼ばれた。お藤は、おせんと同様に多くの錦絵や絵草紙などに描かれている。ちなみに楊枝店とは、店の棚に房楊枝、歯みがき粉、お歯黒のふし粉などを並べて売っていた。美人を置いた浅草寺境内の楊枝店には、物見高い男性たちがお藤の顔を見たさに集まったという。個人の好みもあるが脂粉に色どる銀杏娘のお藤より、素朴な化粧っ気のない笠森おせんの方に人気があった。人気絶頂だったおせんは、20歳の頃突然姿を消した。失踪は江戸中の話題になり、「この頃とんだ茶釜が薬缶(親父)に化けた」という噂が広まった。
 これは、おせんが湯を沸かす茶釜の代わりに,薬缶頭(禿げ)の親父に化けていたという意味である。おせんは武士・倉地政之助(実は御庭番)と結婚し、二人の子供を育て幸せな生涯を送り77歳で亡くなった。世間で言われているような“美人薄命”ではなかったのである。
・おせんの稲荷は二箇所ある
 おせんの水茶屋・鍵屋は、江戸期に富くじを販売して有名な感應寺境内にあった。感應寺は1748年に焼け、その跡に現在の功徳林寺が明治26年に造営された。鍵屋の水茶屋跡は、功徳林寺の方が正しい。しかし近くの大圓寺境内に、大正6年6月に鈴木春信の150回忌記念碑が建てられた。その隣に永井荷風による「かさもりおせん」の記念碑が建てられた。荷風は鍵屋があった感應寺跡が、功徳林寺であることを知らなかったのだろうか。この事により「笠森おせん」とひらがなの「かさもりおせん」の跡は、二箇所になってしまった。
 大圓寺の瘡守(かさもり)薬王菩薩は、江戸時代に梅毒や皮膚病に悩む人たちが参拝した。笠森と瘡守が同じ読み方であったため、混乱を生じたのである。蔦屋およしについては、ほとんど記録がない。太田南畝の「半日閉話」の文章の末尾に、「所々に娘評判甚だしく、浅草地内大和茶屋女・蔦屋およし錦絵の一枚に出る」とある。蔦屋およしは、おせん、お藤の二人に比べると一ランク落ちたので、人々の注意を引かなかったらしい。 
3月7日 ブータンとネパールで暮らして
栗林 麻央 様
栗林様ご紹介
自衛隊中央病院高等看護学院(現防衛大)を卒業し、平成13年より8年間鷺沼人工腎臓石川クリニックに勤務。学会発表などよく勉強をしました。
海外協力隊でブータンにて透析施設の立ち上げと指導をする。(4年間)
JAICA就職。素晴らしい看護師になりました。
卓話の内容は下記リンクをご覧ください。

20180.3.07.pdf へのリンク
2月14日 「インターネット時代の自然読解」ーリスクマネージメントの視点からー
泉 耕二 様
地震、台風、集中豪雨、豪雪といった未曾有の大型の自然災害が私達の生活を脅かす時代に入っています。このような環境変化のもと、如何に賢く社会生活を営むかという事を我々は問われています。幸いにも、現代文明で最大の落とし子、インターネット・スマホを使って色んな情報が何時でも、何処でも、誰でも取得できる時代が来ています。自然災害に対処する為にはこのインターネットを如何に有効活用するか、リスクマネジメントという視点で話題提供します。
昔の人々はこの自然災害にどう対応していたのか。古来、農夫、漁師、山師という自然環境の中でしたたかに生き抜いて来た人々は、古老を中心に自分で自然現象を観察し、読み・予測する「観天望気」という能力を保持していました。現代文明の中でも市民自ら、この「観天望気」能力を持つべきだという事を講演者は期待しています。この能力獲得・発揮に重要な助け船になるのがIoT(モノを繋ぐインターネット)です。
講演者にこの問題意識をもたらすきっかけを作ったのが、2011年3月11日の東日本大震災です。何処に問題を感じたか、それは東日本大震災の「人的被害の多さ」にあります。今回の大震災以前に明治の三陸大津波(1896年:明治29年)という震災がありました。この時の人的被害と今回の東日本大震災はほぼ同数(約2万人)の人的被害を被っていました。明治の三陸津波は、地震速報、津波予報等の情報は全く無く、ラジオ放送が始まる30年も前の震災です。この事実から、何故現代でもこんなに人的被害は多いのかを現地調査も含めて、調査・分析し方向性を出す事に努めてみました。これらの作業の結果から得られた教訓は「現代人は自分の行動の判断基準を他者に委ねている」という事でした。私達は朝起きて、その日の天気予報を聴いて、その日の行動スタイルを決めるという方が多いと思います。このように、現代の特徴は色んな情報を自分の行動・判断基準する場面が多いという事に気づきます。
そこで、我々がどういう能力を身に着けるべきかという課題設定して活動してみました。その中で最も優先した事、それは日常生活の中で「問い」を立てて自分の流儀で考えて行動してみるという事でした。この動きの中で現代文明の落とし子を有効活用する事がひらめきました。
幸いな事にありとあらゆる、1次データがインターネットで得られるという事に気づいていました。
私の実践として、① 大震災後に発生した、原発事故に伴う放射線汚染の予測。②ここ数年毎年のように発生する集中豪雨に伴う河川の氾濫の予測。これらの予測に如何にインターネット情報(IoT)を使って予測できるかを紹介します。これらの活動を通して得た知見は、自然を読む為に必要な多くの情報が見事に整備されていて、それを如何に活用できるか現代版「観天望気能力」の育成だけが必要となる事に気づきました。   過剰な情報が得られる時代、問題を整理する中で必要となる貴重な情報源が数多くある事に気づきます。それを如何に上手く活用するか、皆様の「問題意識」を大切にして積極的に活用してみてください。  当たり前の事ですが「自分に振りかかった火の粉は自分で消す」という姿勢が求められている事を再認識しています。皆さまも是非、実践下さい。応援します。
12月6日 献血の現状について
田中 由紀子 様(神奈川県赤十字血液センター)
私は日本赤十字社 神奈川県赤十字血液センターの田中由紀子と申します。
みなさま、日頃から赤十字の活動にご理解とご協力をいただき誠にありがとうございます。また、みなさまの貴重なお時間を頂戴し、心から感謝申し上げます。
本日は、献血についてお話しをしたいと思いますが、その前に、私の自己紹介と少し赤十字の紹介をさせてください。

実は、私、個人的に、ロータリークラブ様に大変お世話になった経験がございます。高校生の時のことです。20年ほど前になりますが、私は、琵琶湖がある滋賀県の守山市というところに住んでいました。そこで、ロータリークラブ様の青少年交換派遣学生に応募し、選んでいただき、ハワイ州のカウワイ島に1年間留学をさせていただきました。
その際には、守山のロータリークラブ様や、ハワイのロータリークラブ様には、渡航にかかる様々な手続きやホストファミリーとして受け入れていただくなど、多くのご支援をいただきました。私、この留学でたくさんのことを学ばせていただきましたが、その中でもとても大きかったことが二つございます。一つ目は、高校生というまだまだ子供の時に、初めて家族と離れ、一人でアメリカに行って暮らしたことで家族のありがたみ、家族の大切さを知ったことです。そして、もう一つは、カウワイロータリークラブのみなさまが、英語をまともに話せない高校生を受け入れるだけでも大変であるところに、家族の一員として接してくれ、真正面から向き合ってくださりました。そのことで、ロータリークラブのみなさまの優しさにふれ、人の温かさを知りました。本当に貴重な体験をさせていただきました。
そして、そんな経験があったからこそ、私は就職活動を行う際、世界中で人道支援を行い、人と人とをつなげる赤十字を生涯の仕事として選び、今みなさまの前で赤十字の一員としてお話をさせていただいています。
私に、人生をかえるような、財産となる経験を与えてくださり、今も若い方々にそのように経験を与えてくださっているロータリークラブの皆様に、個人的にも心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

さて、私が所属する赤十字についてですが、赤十字マークは、よく見かけられると思います。赤十字は今から約150年前に誕生しました。戦争時、傷ついた兵士は敵味方関係なく助けるべきだと訴えた第1回ノーベル平和賞を受賞したアンリ・デュナンの考えがもとになっています。今では「人の命を尊重し、苦しんでいる人を救いたい」という目的に世界190の国と地域に赤十字は広がっています。
日本赤十字社も、幸い我が国では戦争や紛争はありませんが、地震や津波などの災害時に医療チームの派遣、救援物資の配付、ボランティアのコーディネートを行う災害救護や赤十字病院などの医療事業、心肺蘇生法などの救急法の普及などの事業、そして、献血の受入れから医療機関へのお届けまでを行う血液事業を行なっており、これらの事業は、職員だけでなく、ボランティアのみなさまはじめ、多くの方に支えられています。

本日は、その、たくさんの命を日々救っている献血の現状について、輸血経験のある方からのメッセージもご紹介しながら、お話をしたいと思います。

横浜市にお住まいのご家族が血液センターにメッセージと写真を寄せていただきました。お子さんが大病にかかったのは、小学四年生のときでした。運動会で、応援団長をつとめるほど元気でしたが、食べ物を吐いたり、つまずいたりするようになり、心配で病院に連れて行くと、最初は胃腸のかぜと診断されました。しかし、症状はおさまらず、何件も病院をまわり、やっと見つかったの、がんの一種である脳腫瘍でした。すぐに入院し、小さな身体で14時間にもおよぶ手術に耐え、腫瘍を取り除けましたが、手術の後遺症で話すことも動くこともできなくなったそうです。そのような中、必死にリハビリと激しい副作用を伴う抗がん剤治療を乗り越え、一年で退院することができました。
この治療の間に、お子さんは、輸血を10回受けています。

輸血用の血液は、事故や手術など、大量出血の際に使われるというイメージを持っていらっしゃる方も多いと思いますが、その多くは病気の方、特に全体の約半分をがんの患者さんが使われています。なぜ、がんの治療に必要かと言いますと、抗がん剤治療は、がん細胞を破壊してくれるお薬です。しかし、大変強い薬のため、生きていくために欠かせない血液を作っている骨髄にも大きく影響し、健康な血液を作り出せなくなります。つまり、輸血をしなければ抗がん剤治療を進めることができなくなるのです。まさに献血の血液が、患者さんの命をつないでいるのです。患者さんの中には、1回だけの輸血ではなく、中にはお一人で30回、50回と輸血をされる方もいらっしゃいます。
お子さんは、今少し体に不自由はあるものの大学生になり、元気に学校に通っています。献血してくださるみなさまに、命を救われたことへの感謝を伝えたいということで、ご家族と一緒にもう7年ほど血液センターの献血の呼びかけに協力してくれています。

輸血が必要となる状況というのは、もちろんこのように病気の時だけではなく、交通事故や手術、出産時の大量出血でも必要となることがあります。そこに共通するのは、まさに命に関わる状況だということです。日本赤十字社では、輸血を必要とする方がいれば、24時間365日、いつでも血液を必ずお届けをしております。そのように血液を我々が患者さんのもとにお届けできるのは、すべて善意で献血にご協力いただける方々のおかげです。日本の輸血用の血液はすべて献血の血液だけで賄われています。
会報担当
 美谷脇 博之  一樂 祥子  中村隆敬
血液は、生きた細胞であるため、長期間保存することができません。輸血用の血液は成分ごとの製剤になりますが、赤血球製剤は採血をしてから21日間、血小板製剤はたった4日間しか使用期限がありません。日々の献血のご協力が必要となるのです。
神奈川県では、年間に約30万人の方々の献血のご協力をいただいています。しかし、安定的に血液をお届けするためには、さらにご協力を必要としています。
資料にもございますが、輸血用の血液の使用量が、県内では年々増えています。この7年で年間の使用本数が4万本以上増えました。
一方、献血にご協力いただける人数は、減少傾向となっており、特に20代、30代の献血者数の減少に歯止めがかけられない状況となっています。

輸血を必要とされる方へ、血液が届かないということは、決してあってはならないことです。冬などに、駅前で切実に献血を呼び掛けているスタッフの姿をご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。近隣の県や、時には全国で調整を行い、必ずお届けをしています。
このような状況のため、血液センターでは、たくさんの方のご支援をいただきながら、切実に献血を呼びかけています。ご家族や知り合いの方に献血のことをお話しいただくだけでも力になります。どんな形でも構いませんので、献血の事業を応援してくださいましたら、とても嬉しく思います。
本日は、ありがとうございました。
11月29日 18歳選挙時代の変化と若者の政治参画
原田 謙介 様(NPO法人 Youth Create 代表理事)
岡山大学非常勤講師
1986年岡山生まれ。
愛媛県愛光高校, 東京大学法学部卒。
卓話の内容は下記リンクをご覧ください。

2017.11.29.pdf へのリンク
11月15日 R財団月間卓話
森川 奈央子 様(R財団学友)
ロータリー財団の新しい奨学金制度であるグローバル補助金奨学生として留学させて頂きました森川奈央子と申します。
本日は、ロータリーをとおして経験した留学がいかに私にとって大切な経験となったかをお話しさせていただきます。
「Beginning」
私は、もともと日野原先生が名誉院長をされていた聖路加国際病院の呼吸器感染症内科で看護師をしていました。(スライド)この機械をご覧になった事がある方はいらっしゃいますか。これは呼吸を助ける機械ですが、こうした大きな機器を装着する患者さんが多くいらっしゃいました。こうした機器を、24時間着けていると、自由に動く事ができず、圧迫感もあるので次第に気持ちが落ち込んでいく方がいらっしゃいました。そのとき、前向きな気持ちを持つ方と、そうではない方とでは、予後が変わるということを看護師として接する中で感じるようになりました。
身体だけでなく、気持ちの面でもサポートができるようになりたいと思うようになり、精神医学や心理学に興味を持つようになりました。
精神、心の看護を勉強するため、グローバル補助金の奨学生としてアメリカ、サンフランシスコのUniversity of California San Franciscoの精神看護 修士課程に留学しました。ノーベル賞を受賞された山中伸弥先生が所属する大学院でもあり、医学分野に強い大学院です。            心理の勉強をしてきましたので、ここからは心理の知識を用いつつご説明させていただければと思います。
こちらは、異文化適応のプロセスの図です。ご覧になった事がある方いらっしゃいますか。留学や海外不妊など、新しい国に行くとき、人はこうしたプロセスをたどり適応すると言われております。
まず、【ハネムーン期】留学してすぐは、まるで新婚後のハネムーンのように心浮き立つ時期を過ごします。この時期はただただ楽しいです。しかし、上手くいかない事が分かってきたりして、少しずつ、気持ちが落ち込んでくる【カルチャーショック期】を経験します。そして、次第に新しい文化での新しい過ごし方を学んで行き、【適応期】にいたります。
留学するすべての人がこのプロセスをたどる訳ではありませんが、私自身は、ほぼこのプロセスどおりの経験をしました。
「Dream Big」
留学してすぐのころ、さきほどのプロセスの【ハネムーン期】では、見るものすべてが新しく思えました。
これはペインティッドレディーズというサンフランシスコのお家なのですが、私が住んでいたサンフランシスコには、この様なビクトリアンハウスの可愛い外観のお家がたくさんありました。アパートを借りて住みましたが、部屋も広く、大きなオーブンがあることにも驚きました。
少し出かけるだけで驚きがあり、例えばこれはカツカレーなのですが、日本の3倍くらいの大きさがありました。また、これはコンビニで売っているアイスクリームなのですが、1ガロン、約4Lのものが約600円ほどで売っていて、驚きました。
クリスマスが近づくと、こんな風に大掛かりなデコレーションが町中あちこちにみられます。これは、フェアモントホテルのデコレーションです。クリスマスツリーと等身大のお菓子の家がありました。
大学院の授業も、華々しく始まりました。大きなホールで200人にも及ぶ看護の修士・博士の学生があつまり、オリエンテーションをします。クラスメートや他の留学生とも出逢い、新鮮でした。
「No Return」
しかし、3ヶ月ほどしてくると、徐々に気持ちが落ち込んでくる事に気づくようになってきました。先ほどの図の、【カルチャーショック期】に入ってきました。
初めての海外長期留学で、英語で修士の授業を受けることは壁もありました。これらは学校の教科書ですが、こうした専門書を毎週数百ページ読むよう課題がありました。また、クラスではディスカッションを行う機会も多くありましたが、クラスで留学生は私1人でしたので、みなスラングを使ったり、ネイティブ同様の速いスピードで話していました。それを聞き取り、答えを返す事に苦労しました。
大学院の授業だけでなく、様々な文化の違いがあり、日常生活送る事にも障害がありました。
アパートを契約するとき、サンフランシスコでは日本のように不動産屋を使う事がありません。この写真のような、Claigslistというウェブサイトで物件を検索し、直接大家さんに連絡して契約の交渉を行います。顔の見えない相手に突然電話で英語で交渉をしなければならないことや、このサイトに慣れず見方が分からないことなど、アパートを探すだけで一苦労でした。
また、電車やバスに乗ることさえ注意が必要でした。これはMuniというサンフランシスコの市電なのですが、駅で待っていて、さあ乗り込もうとすると、電車のドアが壊れて開かないということがありました。日本ではまず起こらない事かと思いますが、サンフランシスコではたびたびあることなので、特に注意書きもされていませんでした。また、バス停でバスを待っていても、気づいてくれず、そのまま通り過ぎてしまうこともありました。
また、これはサンフランシスコプライドというLGBTQ、ゲイやレズなどのパレードなのですが、日本で近しい人に同性愛者があまりいなかった私には、こうした新しい価値観に出逢い、理解していく事にもエネルギーを使う必要がありました。
日常生活でも、大学院での生活でも、予測しづらい事が多く、気を抜く事ができず、少しずつ疲れていきました。
「Strong Support」
そんなとき、多くの方々に支えていただきました。
こちらは、受け入れ先ホストクラブ、サンフランシスコロータリークラブのカウンセラーのジョン・ホックさんと奥様のエリッサさんです。
お二人は、サンフランシスコについた初日から、サポートをして下さいました。サンフランシスコについた日、空港まで迎えに来て下さり、一緒にアパート探しをしてくださいました。エリッサさんが私の希望条件を聞いた上で、先ほどのクレイグスリストという物件情報ウェブサイトから、候補をピックアップしてくださいました。ジョンさんが車でアパートの内見に一緒にまわってくださり、契約の時には保証人にまでなってくださいました。
また、クリスマスやサンクスギビングなどのイベントのときには自宅に招待してくださいました。これは、クリスマスにお家に招待してくださり、「手違いでサンタがうちにプレゼントを置いていったよ」といって、クリスマスプレゼントをくださったときの写真です。
こちらは、アメリカ側の代表連絡担当者であるマーク・フレゲルさんです。マークさんも、初日に空港まで迎えに来てくださいました。左はサンフランシスコ観光に連れて行ってくださった時の写真です。
右はドイツから来たグローバル補助金奨学生と一緒にいる時の写真です。
お二人が、ホストクラブであるサンフランシスコロータリークラブと繋げてくださり、クラブで話す機会を作ってくださいました。左側にうつっているのはセシールさんで、クラブの会長をされていました。
ジョンさん、マークさん、セシールさんからは、様々なロータリーのイベントに誘って頂きました。これはロータリーファミリーファンデーというイベントの時の写真で、地区全てのクラブのロータリアンがご家族と参加されていました。
地区大会にも2度参加させていただきました。この写真のように、マークさんに大会で紹介していただきました。2度目はロサンゼルスのディズニーランドでおこなわれましたので、前日から奨学生みんなでマークさんの家に泊めていただき、向かいました。ディズニーランドでは他の奨学生とともにディズニーランドを楽しませてくださいました。
マークさんをとおして出逢った学生です。私と同じグローバル補助金の奨学生もいれば、ローターアクトの方や地区奨学金の奨学生もいました。そのうちの一人、ルワンダで生まれ、幼い頃にルワンダ虐殺を経験しドイツに移住し、ドイツで弁護士の資格をとってサンフランシスコに国際法を学ぶため留学している奨学生がいました。彼女は、どんな経験も自分次第と言って、サンフランシスコでも努力を怠らず、平日は深夜12時まで大学の図書館で勉強して、週末は気分を変えて遊ぶと決めていると話していました。彼女の気持ちの切り替え方や冷静さに刺激を受け、私も同様に平日は深夜まで勉強というスタイルをとるようになりました。これは、現在も同様で、仕事のあと深夜までは勉強をするように努めています。
マークさんやジョンさんをとおして、様々なクラブで卓話をさせていただきました。
左はサンマテオサンライズRCでの卓話、右はサンフランシスコイブニングRCでの卓話の写真です。サンフランシスコイブニングRCは、20代から30代のロータリアンが多く、夕方に例会のあるクラブでした。
これはチャイナタウンのRCに参加させていただいた時の写真です。右側が、チャイナタウンのRCがロサンゼルスのRCと交流をしており、交流イベントに誘っていただいた時の写真です。
サウスサンフランシスコのRCで卓話をさせていただいた時は、地元のニュース記事に取り上げていいただきました。
神奈川RCの皆様も、サンフランシスコまで訪問してくださいました。
かけがえのない戦友たちにも出逢う事ができました。右の写真は、他の留学生との写真です。クラスには留学生が1人しかいなかったため、他のクラスの留学生と助け合って過ごしていました。彼女達は中東であるオマーンやサウジアラビアからの留学生で、イスラム教を信仰しアラビア語を話す彼女達とは、言葉も文化も違うはずでしたが、壁にぶつかり、留学生活が耐えきれなくなったとき、彼女達は話を聞き、気持ちを汲みとってくれました。また、イスラム教の考え方についても教えてくれ、私自身が持っていた他の宗教への偏見を取り除いてくれました。
左の写真は、クラスメートの写真です。学期が終わるたびに、クラスメートと乾杯してねぎらいあいました。クラスの友達や学校の先生のなかにも、同性愛者のかたがいらっしゃいました。友達である彼女から話を聞く事で、同性愛者への私自身の偏見もなくなっていきました。
写真の右側に映っているのは、日本人の先輩です。彼女は私と同じ課程を卒業し、博士課程の学生をしていました。彼女から、200ページもある課題は読まなくてよい、始めと終わりに要約があるので要約を読むという方法を教わり、テスト対策を教わりました。こうしたコツをつかんだ勉強の仕方は今でも活用しています。
「Reach the Top」
こうしたサポートをうけ、留学先に適応して行きました。
ロータリーの他の奨学生の努力に刺激を受け、平日は夜遅くまでカフェで勉強、また各教科のコツをつかみながら学ぶよう心がけていました。コツをつかむと大学院の授業についていくことができ、必修単位71以上に、追加で授業を受講し、84.5の単位取得し、卒業することができました。
卒業式には、ロータリーから、カウンセラーのジョンさん、所属クラブ会長であるセシールさん、代表連絡担当者であるマークさんが参列してくださり
セシールさんからはお祝いのお花をいただきました。
また、カリフォルニア州の正看護師、そして修士号を卒業した看護師に与えられる専門看護師の資格を取得しました。
「Success」
このように、この留学が私に与えてくれたものは、かけがえがないものばかりでした。こうして得ていったものを、少しでも還していきたいと思い、様々な活動を行っています。
これは留学中のことですが、UCSFに短期で看護系大学の助教授の先生や博士学生の方が滞在されている時は、UCSFの講義の取り方などサポートを行う事もありました。
これは、創価大学看護学生がUCSFで研修した際に、通訳や学生のリサーチのサポートを行わせていただいた時の写真です。UCSFの学校新聞で紹介して頂きました。
サンフランシスコでお世話になった先輩の縁で、現在は、会社で働く従業員の方のために、カウンセリングを提供しています。
近年、海外に赴任される方が増えていますが、海外赴任される方が赴任先の国で体験するのが、この異文化適応のプロセスです。
留学とはいえ、このプロセスを実際に自身で味わい、適応していった経験は、海外赴任されるかたがどのような気持ちになるか、どういった壁にぶつかるかを理解する上で非常に役に立ちました。海外赴任者の方からご相談があった際には、こうしたプロセスのことをお話ししつつ、私自身が、ロータリーや友人達から受ける事のできた、日常生活でのサポート、気持ちのうえでのサポートを受けられるよう、援助しています。
また、企業での研修も行っております。海外赴任されるかたの事前研修として、心理面での変化、海外適応するにはどうすればよいかという情報をお伝えしております。
研修の資料など英語翻訳をすることもございまして、先日は、産業衛生学会の招待講演者の抄録の翻訳をお手伝いさせていただきました
また、留学を終えた奨学生の活動である、ロータリー財団学友会の幹事としても活動させていただいております。これは打ち合わせの時の様子ですが、幹事の一人として、会計を担当させて頂いております。2590地区だけでなく、右の写真のように2780地区とも連携して活動しています。
これは、新しく留学される奨学生のオリエンテーションの様子です。壮行会の様子です。今年度の奨学生を送り出しています。
こうした活動は、いずれも留学で得た心理学の知識、新しい価値観、英語力、そしてロータリーとの関係がもととなって、可能となったことです。
留学をしていなければ、私の人生はまた違うものになっていたでしょうし、現在の仕事についてはいなかったと思います。
このような機会をくださったロータリーに、深く感謝しています。

写真は下記リンクをご参照ください
2017.11.15Global grant presentation.pdf へのリンク

11月7日 私のロータリーモーメント
田口 絢子 様(盛岡北RC)
この度の研究会において、私のモーメントをお話しする機会を頂きましたことに、心から御礼と感謝申し上げます。
平成9年、私は盛岡北ロータリークラブに入会いたしまして、以来、毎週の例会でロータリーソングのピアノ伴奏を弾かせていただいております。
主人も息子も同じ盛岡北ロータリ-クラブの会員です。毎年家族で国際大会へ参加することを楽しみにしています。
ロータリーモーメント、心に残るロータリーの体験は数知れません。話し始めたらきっときりが無くなると思います。
沢山あるモーメントの中からお話するとすれば、なんと言っても2011年3月11日に発生した、東日本大震災の時、多くのロータリアンとの出会いと感動です。

二つのモーメントをお話させていただきます。
東日本大震災が起こったとき、私は2010年2011年度の会長として、あと3ケ月を残すだけになっておりました。
震災直後、例会場のホテルは、被災者のための避難場所となり例会が出来なくなりました。
休会が続き、5月になって再開できた時、会員の皆さまに会って無事を確認してホッと胸をなでおろしたのを昨日のことのように思い出します。
震災直後から私は、主人と二人で全国のロータリアンの皆様からいただいた支援物資を車に積んで被災地を訪れ、友人やロータリアンの安否をおたずねして歩きました。

6月、盛岡北ロータリークラブは、津波により火災が発生して町が壊滅的な被害を受けた山田ロータリークラブの当時会長だった阿部さんから連絡を受け、クラブ会員、ローターアクト会員、家族と共に、炊き出しと震災後の初例会に参加するために山田を訪問しました。
その帰り道、私は大きな衝撃を受けました。それは焼けただれたJR山田駅の駅舎の上に直径1,5メートル以上あると思われる大時計を見たときです。大時計はガラスが割れ、時計の針は3時25分で止まっていました。
この大時計は、1972年、山田ロータリークラブ創立5周年記念として設置された、ものでした。

震災を忘れない、防災の意識を高めるためにも、この時計は後世に残したい、そういう私たちの願いに国内外の多くのロータリアンが賛同してくださいました。
がれきと化した駅は撤去されましたが、私たちの願いを聞き入れてくれた山田町役場がその時計を保管してくれました。役場は高台にあって、奇跡的に津波と火災から難を逃れていたのです。
そして時計は、役場の特別な計らいで11月に御蔵山という、山田湾を一望できる小高い丘の、歴史的由緒のある場所に移されることとなりました。
時計の設置と共に、失った肉親、友人への鎮魂と、これからの新しい生活を切り開いていくための願いを込めた「鎮魂と希望の鐘」が建立されることとなりました。

年が明けた2012年1月6日、当時国際会長エレクトの田中作次様が、アメリカに出発される前に非公式に被災地を訪問したいと希望され、元国際ロータリー理事の黒田正宏様と山田にご案内いたしました。大時計の前でお二人を囲んで開催された山田ロータリークラブの新年初例会は風の冷たい日でしたが、私たちの心が一つになって熱く燃えた感動の例会でした。
この鐘の設置と時計の保存には、北海道、四国 埼玉 アメリカニュージャージー州、他にも多くのロータリアン、ロータリークラブのご支援がありました。

2012年3月11日、ご支援してくださった、多くのロータリアン、アメリカからも駆けつけてくだり、大勢の山田町の人たちが見守る中、除幕式が厳かに執り行われました。
今でも山田町御蔵山には、国内外から多くのロータリアン、インターアクト、ローターアクト、米山学友会等の皆さんがこの鐘を鳴らしに訪れます。
ここは町民の憩いの場所として愛され、春にはロータリアンの皆様や米山学友会で植樹された桜が咲き、ブルーベリーの実が子どもたちを喜ばせています。みな様のご支援で東屋も設置されました。
多くのロータリアンとの出会いが、山田町に「鎮魂と希望の鐘」となって美しい音色を響かせています。これはまさに私の最高のロータリーモーメントの一つです。

もう一つは、やはり震災直後のできごとです。
当時毎日のように被災地を駆け巡っていた私に、ロータリアンの方々から、いま現地で必要なものはなにか、という問い合わせがありました。
まだ、水も、食べ物も、着るものも、住むところもない状態の時でした。
今必要なものはなんだろう。私は役場や市役所や教育委員会を巡り情報を集めました。
高台にあって災害を免れた学校の体育館は、被災した人たちの避難所となっていました。校庭には仮設住宅が建ち並び、子どもたちの運動する場所もありませんでした。
学校を失った子どもたちは、遠く離れた学校に間借りをして勉強していました。
そのとき、「多くの学校が流され、いま子どもたちは窮屈な思いをしながら身を寄せ合って勉強しています。ピアノも流され音楽の授業が出来ません。子どもたちにピアノを与えたい」という声が聞こえてまいりました。
私は、被災して流されたピアノの状況を把握するため、被災地の小学校、中学校を回りました。その間にロータリー財団へのピアノ寄贈事業のマッチング・グラントが北海道と四国で進められ、バンコクからのご支援も頂くことになりました。
ロータリアンの熱い思いが通じたこの事業はすごいスピードで進み、みるみる間に流された6つの学校に6台のピアノが贈呈されることになりました。
9月、震災を免れた吉里吉里小学校を借りて勉強していた、大槌北小学校にピアノが贈呈されることになりました。私たちは、ご支援下さったロータリアンの方々と一緒に、贈呈式に参加しました。
真新しいピアノの周りに子どもたちが集まり、音楽の先生の伴奏で歌い始めました。子どもたちの顔が一斉に輝き笑顔が喜びにあふれていました。
参加した私たちも一緒に校歌を歌いましたが、私たちは感動で涙を抑えることが出来ませんでした。
震災から5年経った今、ほとんどのピアノは、新しい校舎に移されましたが、まだ、新校舎完成までもうすこし時間がかかる学校もあります。
しかし、子どもたちは元気いっぱい、ピアノに合わせて歌っていることでしょう。

この二つの出来事を思い出すと、世界の、全国のロータリーとの出会いがなかったら、こんなにも感動する出来事を体験することはなかったと思います。
ロータリーのお蔭ですばらしい出会いがありました。そして、本当にロータリアンでよかったといましみじみ思っています。
被災地の一日も早い復興を願い、皆様のご支援に感謝して私のモーメントを終わらせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。

画像は下記リンクをご参照ください
2017.11.8.pdf へのリンク
9月27日 2590地区ガバナー卓話
湯川 孝則 様(横浜西RC)
卓話の内容は下記リンクをご参照ください

2017.9.27.pdf へのリンク
8月23日 増強月間卓話
三間 悌司 様(川崎西RC)
・クラブ奉仕というと,クラブ内の親睦活動等を行うと思われているが,クラブの会員にロータリーを教えるというのが最も重要な活動である.(以前は情報と言われていたが,現在は研修委員会)
・最近,変化の重要性が取り上げられているが,「変化をすれば発展しているのか」,「目的は変わらずに変化を求めるというのはどういうことか」が大きな問題.「原点に返る」とよく言われるが,どこが原点なのか.
・ロータリークラブはもともと友情を求めて作られたクラブであり,同業者を排し異業種の交流を図り,それが事業の発展にもつながるという大変に居心地の良いクラブであった.
・和気あいあいの仲間内のクラブでは発展性がない,クラブは社会性を持たなければならない.親睦のエネルギーを社会改良のエネルギーに変えよう!という意見が出,丁度そのような時にサービスの理念がロータリーに持ち込まれた(シェルドン)
・利潤の追求のみの拝金主義ではなく,それ歯止めをかける理念,哲学をもたなければならない.心の交流を求めることにより,信頼関係がつくられ,信用が生まれる.長い目で見れば,より多くの利潤が得られる.このようなサービスの心をロータリーに持ち込めばロータリアンは例会に出席をかさねることによって,自然とサービスの心を植えつけられることになる.
・サービスとはなにか?
(1) 利潤を考えた上でのサービス⇒ 世のため人のためになる経営
(2) (キリスト教的)無償のサービス⇒人道的な考え方からの弱者に対する支援
この2つの考え方をめぐりロータリー分裂かという大論争となる.分裂を回避させた決議が(決議23-34)と言われているものである.
・Vocational service(職業奉仕)はシェルドンの説く実業倫理思考に基づくサービスとは違うということを理解する必要がある。
・職業奉仕(実業的倫理思考)は日本に古くからある商業倫理と相まって受け入れられ,職業奉仕がロータリーの主流を占めているという誤解がうまれた.欧米では(キリスト教的)人道的な考えからが主流である.
・2005年ロータリー100周年に際して,シェルドンはもっと顕彰されるべきであった.
・弱者救済の無償のサービスの裏付け(金銭的な)として,ロータリー財団の存在が大きくなってきた.
・職業奉仕の金看板をまもるか?RIの流れに同調するか?(2020年日本ロータリー100年の課題)
・ロータリーの制度はロータリーの目的を達成するために設けられたものである.
(1)一業種一会員の下で会員を入会させる⇒ロータリーにふさわしい方を入会させる(同質,異質,良質の人たちの集まり)と変化してきているが,クラブの中に多様な人材がいることが,ロータリーに必要な多様性
(2)定例的な例会⇒お互いが高め合える友達関係が親睦 例会でサービスの心を会得した人が,ロータリーを離れてなす行いをロータリーの実践というのであり,自分の心を磨いていくという部分が最も重要
・例会出席の重要性 異業種の人たちと出会う機会であり,会員はロータリーがその業界に送りこんだ大使のようなもの.自分の業種の代表であるという自覚と責任をもち,知識が境地となるまでロータリーのサービスの理念を心に叩き込む例会の積み重ねがロータリー運動である.
7月12日 すべての子どもにチャンスを与えよう
横山 正弘 様(特定NPO法人 Living in Peace理事)
Living in Peaceで理事をやらせていただいております。横山と申します。本業では公認会計士をやっていて、平日の夜や休日にLiving in Peaceの活動をしております。
そんな私ですが、最初から子どもの貧困問題に関心があったかというとそういうことはありません。今支援している鳥取こども学園という施設に訪問したときに、職員さんが子どものために一生懸命やられている姿を見て心を打たれた一方で、職員さんの数が足りておらず大変そうにされているのを見て、「何とかこの人達の力になりたい」と思い、児童養護施設の問題が自分事になりました。
さて、まずはLiving in Peaceが取り組んでいる課題についての説明をさせていただければと思います。
虐待や経済的な理由など大人の都合で親と離れて暮らす子どもの数、日本全国で何人いるかご存じでしょうか。その数は5万人になります。子どもたちの状況は決して良いものではなく、10人に1人は高校中退をし、大学進学率は1割強にしかなりません。なぜ子どもたちが親と離れて暮らさなければならないのでしょうか。1978年に児童養護施設に入所する理由のトップだったのは親の離婚・不和・死亡・行方不明でした。しかし、現在では親の虐待・就労・経済的理由、つまり親の貧困が主な理由となっています。

子どもが社会的養護に入る一番の理由である貧困は現在どのような状況なのでしょうか。私たちの実質所得は、1990年代末にピークを迎えた後には下落を続け、30年前の水準に戻っています。一方で、相対的貧困率は着実に伸び続け、 貧困家庭は16%となっています。特に深刻なのは母子家庭で、3分の2の母子家庭では世帯収入が300万円以下となっています。続いて国際比較です。日本の子どもの貧困率は先進国の中でもかなり高い水準にあります。特に、ひとり親家庭の子どもの貧困率はワースト1位になっています。その大きな理由は、シングルマザーが働き口を探すのが難しいことにあるとされています。
また、児童相談所に寄せられた児童虐待相談件数はここ数年も増加の一途をたどっています。モノやお金がないことによる貧困は家庭にも着実にストレスを与え、それが児童虐待につながることは少なくありません。
そのような親の貧困や虐待によって親元を離れることになった子どもは一時保護所に行きます。2012年に一時保護所で保護された子どもは17,265人でした。そのうち、自宅に戻ることができた子どもは約半数、病院などに送られる子どもが5%、残る子どもが社会的養護に入ることになります。

ここで、社会的養護の課題をご説明します。まずは、施設の養育環境について。社会的養護下に入る子どもの多くは児童養護施設に行きます。児童養護施設の建物は、合宿所のような大舎と、ひとり親で子どもが6人いる家庭のような小舎があります。以前施設の多くが大舎でしたが、より家庭的な養育環境を子どもに提供するために、小舎を増やしていくべきというのが時代の要請となっています。しかし、小舎への移行の進みはそこまで早くありません。それは、施設を小舎にするための資金を十分に積み立てている児童養護施設が多くないためです。
次にヒトの話です。ケア職員の数は配置基準によって左右されます。例えば、配置基準が5.5対1の場合、受け入れている子どもの数が11人であれば、ケア職員2人を雇うだけのお金が国から支払われます。しかし、一人の職員が24時間子どもの対応をしているわけではないので、ケア職員1人あたりの子どもの数は平均すると10人になります。2015年には4対1となりましたが、急に職員さんの数が増えるわけではないので、依然として職員さんの負担は高いままとなっています。子どもたちの多くは虐待などにより複雑な心持ちを抱えていますので、本来であれば子どもたち一人ひとりが手厚いケアを受けるべきです。
課題の3つ目として、国からのお金がそもそも少ないことが挙げられます。スライドは日本の子ども・家族向け支出と高齢者向け支出のGDP比を1とした時の、各国の支出の国際比較です。日本の子ども・家族向け支出はGDPの0.7%であり、これは国際的には非常に低い水準です。一方で、高齢者向け支出は8%で、これは他国と比べても一般的な水準です。スライドに現れているように子どもの貧困率は、国がどれくらいのお金を割くかによって明確に異なっていて、十分な支出を行えば子どもの貧困率は下がっています。

このような課題に対して私たちLiving in Peaceは3つの事業を行っています。児童養護施設の建て替えを行うためのチャンスメーカー、児童養護施設を退所し大学・専門学校へ行く子どもたちへのチャンスメーカー奨学金、児童養護施設の子どもたちへの職業紹介プログラムであるキャリアセッションです。

まずはチャンメーカーについて。先ほどご説明した3つの課題感により、児童養護施設を大舎から小舎に建て替えるための資金集め支援をしています。これは①子どもの環境が家庭に近いものになり職員が増えることにより子どもたちの養育環境が改善する、②補助金と認定NPO制度を使うことにより資金効率よく施設を建て替えることができる、③ 大勢の方からお金を集める過程でに社会課題を世に発信するので課題に対する問題意識が高まる、という一石三鳥のスキームになっています。このスキームでは1.2億円用意できれば4億円の施設を建てられるため、その1.2億円の資金調達支援をLiving in Peaceが行っています。 現在、筑波愛児園、鳥取子ども学園を支援していて、あともう一つも支援に向けて動いています。
次にチャンスメーカー奨学金について。この奨学金は児童養護施設を退所して大学や専門学校に通う子どもたちに給付しますが、次の特徴があります。①奨学金は「住宅費」のみに充当、②住宅は最後のセイフティネットであり住宅さえあれば「なんとかなる」、③食費や遊行費など寄付金が雲散霧消すること防ぐの3点です。現在4名の奨学生の支援を行っています。
最後にキャリアセッション。児童養護施設の子どもたちへの職業紹介プログラムを毎月実施しております。某物流大手企業や某製造大手企業の方々にプログラムの講師を務めてもらい、子どもたちの職業に対する視野を広げてもらえるように活動しております。
また新たな活動の拠点として関西でもプロジェクトを立ち上げました。「さとにきたらええやん」という映画の舞台になったこどもの里という児童養護施設への支援を実施したりしています。

このようなLiving in Peaceですが、まだまだ支援が足りていません。共感してくださった方は、ぜひ支援していただければと思います。
本日はありがとうございました。
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