横浜アザミロータリークラブ
横浜あざみロータリークラブ/YOKOHAMA AZAMI ROTARY CLUB ROTARY INTERNATIONAL
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2019~2020年度・卓話
例会日 タイトル 卓話者
 2月12日 タイ山岳民族子ども支援プロジェクトについて  佐々塚 慎之介 さん(横浜東RAC) 
 1月29日   吉備 カヨ 様(横浜西RC) 
11月6日   露木 雄二 様(横浜瀬谷RC)地区R財団委員長 
 10月16日 原点から いまをみつめ 未来につなぐ  柴崎 由紀 様 
 9月11日 タイ・ティワタ村の子ども両支援活動について  島田 正敏 様
 9月4日 新井 凜子 さん(ロータリー財団奨学生) 
 
2月12日
佐々塚 慎之介 さん(横浜東RAC)
今回は、このようなお話をする貴重なお時間を頂きありがとうございます。
私たちは、現在ローターアクトクラブでの活動以外にNPO法人山岳民族子供支援プロジェクトで、タイの少数民族「カレン族」の子どもたちの支援に携わっています。
タイ第二の都市チェンマイから車で6時間ほど行った村に、カレン族の子どもたちが学校に通うために暮らしている「子ども寮」があります。
自分たちの村に教育施設が整っていないなどの理由から現在、約120名の子どもたちが共同生活を送りながら勉学に励んでいます。この子ども寮は現状海外からの支援に頼っていますが、タイの経済発展に伴い支援対象が近隣諸国に移っておりあと数年で支援を受けることが出来なくなってしまいます。
私たちは、子どもたちが安心して学び続けられるよう子ども寮の運営のサポート、子どもたちの将来への選択肢を広げ夢へのサポートができるようNPO法人として取り組んでいます。現在、カレン族の子どもたちが山岳地帯に生まれ育ったことで教育を十分に受けられていない格差や将来の仕事への選択肢の少なさを課題と感じ活動しています。
子ども寮という教育インフラを通して、教育を受けられない状況下に置かれている子どもたちが学ぶ機会を得られるよう日本において仲間を集めています。
また、子ども寮の支援を私たちが所属しているローターアクトクラブでも行っています。今年度は実行委員会を設立し、4回の例会を企画しました。1回目の例会では、現地で起きている問題について共有を行い、2回目はネパールの小学校支援を行っている東京銀座ローターアクトクラブの方に卓話を頂きました。3回目は、寮全体ではなく子どもたち一人ひとりに焦点を当て考えるワークショップを行いました。現在、4回目の例会に向けて企画しています。
ローターアクトクラブを通しても、私たちが支援を行っている子ども寮について多くの方に知っていただきたいと思い活動しています。
今後とも、NPO法人山岳民族子供支援プロジェクトをはじめ横浜東ローターアクトクラブへのご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
今回は、このような機会を頂きありがとうございました。

<寄付や活動などの問い合わせ先>
Mail: info@tiwata-support.org
担当:佐々塚
1月29日
吉備 カヨ 様(横浜西RC
 本日はあざみロータリークラブさんにお招きいただき、ありがとうございました。横浜西ロータリーから参りました株式会社ジョビアの吉備カヨといいます。どうぞ宜しくお願いいたします。本日は、人材サービス業について、当社の現状にそくしお話しをさせていただきたいと思います。
 当社は昭和34年、横浜マネキン紹介所として、私の母によって創業されました。今期は61期目であります。
 元々さいか屋百貨店の社員であった母が、百貨店での女性の活躍を予期し、横浜駅前に高島屋が出店するらしいという話を聞きつけ、労働省から許可を取ったのでした。人材ビジネスといえば、今では人材派遣の方が一般的に主流ですが、当和30年代は日本において、派遣法はまだ存在せず、職業安定法に則り行う、職業紹介を行う事業所だったのです。即ち、民間版ハローワークというと、分かりやすいかもしれません。また、事業者はその道、その職種での経験者であることが望まれていました。また社名には必ず、取り扱っている職種を明示することがならわしでした。それは求職者にとって分かりやすさがあったからかと思います。横浜マネキン紹介所、テレビ番組の大沢家政婦紹介所、東京料理人紹介所、大阪配ぜん人紹介所といった感じです。正直、ジョビアといっても、何の会社ですか?聞かれますので、社名変更は少し恰好よくなりましたが、反省をしている点もあります。
日本で労働者派遣法が制定されましたのは、1985年、昭和60年です。それまでは職業安定法に則り、有料職業紹介というのが人材ビジネスにおける方唯一のスキームでした。昭和20年代から職業紹介というのは、主に短期、臨時という有期契約であり、労働者派遣法も目的としては、当初は職業紹介同様、短期、臨時的な雇用調整が目的であったのですが、長期的な派遣に軸足を移してきてしまい、様々な弊害をもたらしております。よく派遣と紹介の違いを聞かれます。もっとも大きな違いは雇い主の違いです。派遣の場合は派遣事業者である派遣会社が雇用主となり、紹介の場合は紹介先である求人者が雇用主であります。一番わかりやすい比較が当社からのご請求です。派遣の場合は、当社が雇用しておりますから、派遣スタッフの賃金、福利厚生費含めて派遣料金としてご請求します。紹介の場合は、当社は雇用しておらず、求人先の企業が雇用しておりますので、紹介手料としてご請求をいたします。よって、実態として、人材紹介か労働者派遣か、企業様はどちらのスキームにするか悩まれますが、大方、労務管理を自社でしたいか、したくないかの判断できめられるケースが多いです。また、大手派遣会社以外は、おおよそどのような職種を得意として派遣業、紹介業を営んでいるかの色があります。経理、ホワイトカラー、ヘルパー、薬剤師等様々です。当社の場合には、やはり販売職を中心に接客業が売り上げの大部分を占めており、約5千人の登録者のうち、大半は女性であり、年齢は18歳から7,80代の方々が多数活躍をされております。
 高島屋が横浜の地で誕生するという事を聞きつけての創業であった訳ですが、今でも最大のお取引先は横浜高島屋さんですか?と尋ねられますが、そうではないのです。もちろん、とてもお世話にはなっておりますが、当社のお取引先というのは、高島屋さんと契約をしている出店業者、すなわちメーカーさんです。百貨店には、地下の食料品売り場から、洋品雑貨、海外ブランド、洋服メーカー、呉服、家具、スポーツ用品など様々はメーカーの売り場がございますので、それらのメーカーさんの店頭、売り場への人材紹介や人材派遣を行っているわけです。
また日本の百貨店には催事というものがございます。日本には四季があり、しきたりがあり、それに付随し物販があるということがあるかと思います。バレンタイン、ホワイトデー、人形、ランドセル、中元・歳暮ギフト、浴衣、水着、提灯、コート、おせち、振袖、クリスマス、制服、家電等です。土日催事、一週間催事、季節催事などですが、それらの催事にも催事出店業者がいるわけでして、それらの期間需要に沿って、人材紹介、人材派遣も行っております。
つまり日本の百貨店には女性が様々な就労形態で働ける土壌が元来あった訳です。フルタイムで長期契約で働きたい人、短期労働として季節労働である特定の商品のみ扱う人、1週間働いて、しばらく休み、またしばらくして一週間働くような人や土日のみ平日の仕事と掛け持ちでのダブルワークをする人といった具合です。昔は週一回の定休日、営業終了時間も早く、年始も3日間お休みと職場環境も良かったのです。

現在、人材ビジネスに登録にいらっしゃる方は長期か短期かどちらを希望とされるか明確にされています。長期希望者は主に4つの分類ができます。1、正社員として、身分の安定と定年までの保障を望んでいます。2、契約社員 給与を交渉できる節目があることを望んでいます。3、派遣社員として、定期的に働き場を見直したいという願望があります。4、パートタイマーとして、特定の曜日、特定の時間 一般事務、販売、飲食、コールセンター等で継続的に働くことを希望しています。
 総務省の就業構造基本調査によれば、女性労働者の約6割が非正規労働者であり、そのほとんどが短期雇用の有期労働者です。短期反復型での就労希望者は有期雇用で非正規で哀れであるというような発言をする方もいらっしゃいます。ただ、年間かなりの収入を得る人もいますし、女性が家庭との両立を考える上で、選択肢としてはとても重要な就労形態であると考えます。短期希望者の分類としては主に5つの分類ができます。1、土日のみの希望者です。主にスーパー量販店での推奨販売、ホールスタッフ、ウエディング対応、商業施設におけるお客様対応、出口調査、試験監督といったお仕事がございます。2、一週間型 百貨店での催事がございます。3、シーズン型 季節出展業者へのサポートとして、ランドセル、提灯、浴衣、水着、人形、ビアガーデン、バレンタイン、宿泊施設、観光系、入力業務などがございます。4、繁忙期型として、コールセンター、確定申告前、ギフトの箱詰め、夏休みの塾の先生といったものがございます。5、不特定型(フリーター) で、働きたい気分の時だけといった感じです。
 このように当社ではまずは登録に来られる方々の就労の希望をお伺いし、登録スタッフに寄り添い、悩みを聞き、励まし、時には苦言も呈するような事を丁寧に行うことを心掛けており、昔も今もこれからも変えてはいけない部分であるかと思います。一人ひとりの女性にとっての喜びや悩みは、もちろん仕事そのものやご自身のこともありますが、家族の事情によることが多くあります。
 人材ビジネスではいかに登録される方と信頼関係を結ぶ中で、人生の喜怒哀楽を共有していくことができるかが、この仕事の醍醐味であると思います。少し私がこれまで接してきました感動的な事例を幾つかご紹介させていただきます。例えば、ご主人との別離後、女手一つで子どもを育てあげている方が、お子さんの学校の卒業をご報告にご来社されたり、がんの化学療法を行いながら、これまでの仕事を失わないよう、闘病しながら何とか仕事を継続できるよう頑張っているスタッフのサポートなどもあります。また、ある長年登録しているスタッフの方が、いつも息子さんの事を「うちのバカ息子がね」といつも心配しているので、「お母さんが元気で働いている後ろ姿を見せていれば大丈夫!」なんて励ましていたある日、その方のご自宅に招かれ、初めて息子さんが重度の知的障害であると知り、彼女が言ったことは、「この子より先に逝けないし、私が働き続けなければならないんです。」と涙を流しながら語って下さる場面もありました。また、優秀な成績で高校卒業後に就職を検討していた高校三年生のお嬢さんから、「うちでは大学進学は弟を優先に、私はお金を自分でためて大学に進学をします」と、まだ日本にもこのような若者がいるんだと、これは是非とも応援したいという気持ちになります。家庭と仕事の両立と言ってしまうことは簡単ですが、決して簡単ではなく、一人ひとりに与えられた難題に挑むストーリーがあるわけです。人材ビジネスといっても会社の大小それぞれですが、単に仕事と働きたい人を繋げることでなく、いかに一人ひとりの気持ちに寄り添うか、そのような気持ちでこの仕事にこれからも従事していきたいと思います。
11月6日
露木 雄二 様(横浜瀬谷RC)地区R財団委員長
本日は、財団月間の卓話にお呼び頂きありがとうございます。また、日頃、財団活動に対し多大なるご寄付とご協力をいただき、心より感謝申し上げます。
ロータリー活動の重要な部分を担う委員会として、皆様からの浄財をできるだけ有効に使用させていただく為、委員会全体でより良い奉仕活動を目指して活発な活動をいたしております。
今年度に入りまして、ロータリー財団奨学生の支援活動、昨年度申請をしておりましたグローバル補助金による奉仕活動の実施、昨年度の地区補助金の財務審査、今年度の平和フェローの受け入れ、今年度地区補助金の準備、ロータリー財団セミナーの実施、財団資金管理セミナーの準備等、盛りだくさんな活動の準備及び実施をしております。内容的には、どれも一つのクラブでは実施が不可能な活動を行っておりますが、TRF(ロータリー財団)との交渉を含む専門的な活動が中心的になります。これらの活動はすべてクラブの支援として行うもので、総ての活動の主体は当然ながらクラブになります。このことを良くご理解いただきたいと思います。ここで総ての活動について記載することはできませんが、今年度の特筆すべき活動として、“Happy Birth & Happy Baby”というプロジェクトについて説明させていただきます。これは、横浜金沢ロータリークラブの提唱で行われたプロジェクトで、モンゴルにおける新生児の死亡率減少のためのプロジェクトです。このプロジェクトは、モンゴル国を挙げてのプロジェクトであり、3地区がかかわる多地区プロジェクトでもある、当地区の誇るプロジェクトです。補助金額も多額であることが特徴となります。そして、このプロジェクトの実施に伴い、VTT(職業研修チーム)活動への移行の可能性も大であることから、当地区の更なる活動の為の情報源としての役目も果たすものと思われます。当地区の奉仕活動を拡大するためには、TRFに対する情報活動が重要ですが、これは、当地区で実際に多くの活動を申請し、実施しなければ、得ることができません。それは、実施によってのみ得られる生の情報を沢山収集できるからです。しかし、実施する為には、皆様のクラブからの活動申請が是非とも必要になります。確実なニーズ、シーズ及び現地調査、そして実施地区との綿密な情報交換、正確な財務計画、明確な責任の所在や分担等についての情報が網羅された計画が何よりも重要になります。この様な申請に対し、地区財団委員会は最大限の努力をもってTRFとの交渉をさせていただき、活動が実施できるように支援したいと思っております。”奉仕活動の実施無くして、クラブや地区の発展無し“と思っておりますのでご協力のほどお願い致します。また、活動を実施する為には、財源が必要ですが、まず活動ありきであると思っております。良い活動計画に対しては、皆様からの寄付はついてくると考えております。そして、こうして得られた皆様からの寄付金は余すところなく有効に使わせていただきたいと思っております。今年度も、委員会一丸となって財団活動をさせていただきますので、更なるご支援を宜しくお願い申し上げます。皆様と一緒に財団活動を行い、共に成長したいと願っております。
10月16日 原点から いまをみつめ 未来につなぐ
柴崎 由紀 様
1ノンフィクション
 私は、ノンフィクションを専門にしています。 
 ここ数年、「日本を愛した外国人、海外で活躍した日本人」をテーマに書いています。
 親日家の外国人にインタビューして、日本の素晴らしいところを語ってもらい、記事を書いたり、戦前の国際連盟の事務次長として国際的にも活躍された新渡戸稲造の伝記を書いたりしてまいりました。
 そして、ここ2,3年は、米山梅吉さんのいわば「おっかけ」をしております。と申しますのも、米山さんの故郷、静岡のJR三島駅の近くにございます公益社団法人米山梅吉記念館さんの50周年記念事業の一つ、米山梅吉伝記出版のご依頼をいただいたからです。
ノンフィクションの伝記というのは、実在の人物の生涯をできるだけ忠実にたどります。フィクション、つまり、作り話があってはなりません。
 ノンフィクション、これが案外、骨の折れる、スリルあふれる分野で、できるだけ一次資料、つまり、本人の書いた文章、本人を直接知っている人の話、あるいは、公文書館やお役所に残る書類、新聞記事などを調べて、事実と思われる材料を集める、地道な作業でもあります。
 ノンフィクションの書き方をご指導くださっている加藤恭子先生は、さらに「現場へ行きなさい」とおっしゃいます。ということで、ほんの少しですが、米山さんゆかりの地を写真で少し訪ねてみることにいたしましょう。
 米山さんの足跡を訪ねて、シカゴに行きました。シカゴ郊外のエバンストンには、ロータリークラブの本部、Rotary International、One Rotary Centerがあり、昨年のいまごろ、表敬訪問いたしました。
 まず、創設者ポール・ハリスさんの銅像が迎えてくれます。この銅像は、実は日本のロータリアンからの贈り物です。東京京浜ロータリークラブの盛岡公彦(キミヒコ)さんが寄贈されました。
 シカゴ万博は、1893(明治26)年、アメリカのシカゴで、国の威信をかけて開催された、万国博覧会です。みなさまよくご存知の「エジソン」が活躍していた時代で、電力という新しい技術が大々的に登場した万博でもありました。日本も京都の平等院鳳鳴堂を模した堂々とした日本館を建築しています。この時、アメリカ留学中でまだ無名の若者だった米山さんが、日本の展示品の解説員として働いたことが本人の記述からわかっています。
 実は、その万博には、ポール・ハリスさんも見学に訪れています。もし日本館に来ていたら、二人はそこで顔を合わせていたかもしれません・・・。ちなみに、先ほど、「ノンフィクションは、時にスリルあふれる」と申しましたが、時には、ひょっとしたら、とか、知られていなかったような驚くべき発見?などにも遭遇することがあり、ノンフィクションをやっていると楽しいこともあります。

2底流に流れているもの 大きな悲しみと原動力
 伝記では、「その人物の生涯を通じてずっと底に流れているものを突き止めること」が大事と加藤先生はおっしゃいます。私は米山さんの生涯の中で、その基調となるものの一つは、「家族愛」だと考えています。米山さんは婿養子です。幼い時に米山家に養子に入り、幼少のころから一緒に育った、米山家の一人娘、春子さんとは、婿養子の縁組のあと、渡米して、約8年間、遠く離れていましたが、帰国後、結婚式をあげています。つまり、二人の愛は本物であったわけです。後年、数多くの絵葉書を欧米の出張先から送っています。メールのない時代、ほんの3行ほどを書いては次々と送った絵葉書がたくさん残されています。
 ご夫妻は、5人の子どもたちを授かりました。女の子2人、男の子3人、です。大変な子煩悩だった米山さんは、来客の時には、子どもたちを並ばせ、「我が家の家宝」と言っていたそうです。ところが、長男、次男を、それぞれ、二十歳と二十一歳で続けて亡くします。この大きな試練、悲しみが、彼の人生に大きな影響を及ぼしたと考えています。自分の大事な息子たちを失った大きな悲しみが、若者たちへの支援、そして、社会のために奉仕する心をさらに大きくして、その原動力になったに違いないと思います。
 米山さんは、留学時代に自らも大変な苦労を経験したことから、学びたくても境遇に恵まれない学生を支援しました。その思いは、いまのロータリー米山記念奨学会に受け継がれています。
 ロータリー米山記念奨学会は、日本のロータリークラブ独自の国際奨学事業で、民間では国内最大規模、一昨年、財団設立50周年を迎えました。年間800人の私費留学生、14億円規模の事業費が全国のロータリアンから寄せられています。
 当時のロータリアンたちは、
「今後、日本の生きる道は平和しかない。それをアジアに、そして世界に理解してもらうには、一人でも多くの留学生を迎え入れ、平和を求める日本人と出会い、信頼関係を築くこと。これこそが、日本のロータリーに最もふさわしい国際奉仕事業ではないか」
という強い思いを抱いていました。そして、元奨学生は、日本の良き理解者になり、中には、駐日大使、国際弁護士などになり活躍する人物も登場しています。
 さらに、米山さんは、青山学院の初等部の創設という大きな教育事業にも踏み出しました。

3米山さんの職業 銀行家
ジャーナリストをめざしてアメリカから帰国、尊敬していた勝海舟の家に通っていたようです。初めての出版物の題字を書いてもらいました。
 三井銀行常務取締役から、三井信託の創立とともに、初代社長に就任しています。いまの三井住友信託銀行です。
 1935年には、ロータリークラブ創設者のポール・ハリスがアメリカから来日して、二人は会っています。

4歴史を学ぶこと、その大切さを若い人たち、次世代の人たちに気づいてもらいたいと考えています。
ある会社の経営者が、大学で特別講義をしたそうです。その方は、日本の近現代史が非常に大切だとお考えになっていて、明治維新から日清、日露の戦争の話をしたところ、歴史が苦手というよりも、嫌悪感に近い反応を示す学生が多く、ショックを受けたそうです。180人中、興味を持って聴いてくれた学生は30人程度だった、と。
 いまという時間は、過去の歴史の上にある。歴史を知らなければ現在も理解できない。
 自分の国の歴史を知らない状態で、どうして平然としていられるのか。
 日本が、韓国を併合していた事実を知らなければ、いま話題になっているニュースも理解できない、自分の意見をもてない。自分が生きている世界がこれからどうなっていくのか、国の未来像も描けないという危機感に、私も同感します。

5日本人としての誇り=人間の核、根っこ
 海外留学や海外勤務を経験し、海外に身を置いてみると、自分が日本人であるということの自覚を初めてリアルに突きつけられたという思い出があります。それだけでも、海外留学する意義があるのでは、と思うほどです。
 海外で、日本の素晴らしい文化や伝統が高く評価されていると本当に嬉しくなります。そのことを多くの日本人、特に若い世代に紹介したくて、「日本を愛する外国人にインタビュー」して記事を書いたりしています。
 逆に、海外で苦境に陥ったとき、自分を支えてくれるものは、自分のアイデンティティー。根っこ。つまり、日本人としての誇り、祖国の文化や歴史です。さらにいえば、自分がこれまでの人生で培ってきたもの、両親(家族)・恩師・友人の応援です。

6「未来を切り拓く力」山中伸弥iPS研究所所長
2012年、ノーベル賞生理医学賞 共同受賞された山中伸弥先生は、「未来を切り拓く力」と題したご講演の中で、「目標を持って進むことの大切さ」を、中学生、高校生に話しています。
 山中先生は、いまでは治療法が確立している肝炎で、父親を亡くし、心に大きな傷を負い(無力感)、どうしたら、父のような患者を救えるか。医学研究の道へ進みました。
研究の力で病気をやっつける/低コストで全ての患者を救うということが「目標」になりました。大学院で学び直し、31歳で、アメリカに渡ります。そこで、アメリカの恩師に、人生のモットーを学びました。
 研究者として成功する秘訣は、V とW、Vision and Work hard。
先生「君は一生懸命勉強しているが、君の目標は何か?」
山中「いい実験をして、いい論文、いい研究職に就きたい」
先生「それは違うだろう。それはビジョンではない。手段だ。なんのために研究者になったのか、なぜアメリカまでやってきたのか」
 「医学の力で病気を克服したい」それが自分のビジョンだとあらためて気づかされました。その大切なビジョンをほんの数年で忘れてしまいました。一生懸命にワークハードすると忘れてしまうのだそうです。
 日米両国の学生を比較すると、日本人は、V(ビジョン=目標)を持つのが下手。アメリカの学生はW(ワーク ハード)が苦手。
 山中先生でも、いまだに自分のVを忘れることがあるそうです。けれども、日々、役職の立場としての決断をせまられる時に、「Vを思い出すと、ブレない決断ができる。(Vを思い出すと揺らがない)」とおっしゃっています。

 では、どうしたら、ビジョンを描けるのでしょうか。
まず、歴史を学んで、いまをみつめてみることから始められるのではないでしょうか。特に、いまの私たちの社会を形作ってきた明治時代以降の近現代史、私たちの社会のために力を尽くしてきた先人たちの英知について学ぶこと。過去は、先人たちの英知あふれる世界です。
 特にこの伝記『米山梅吉ものがたり』でお伝えしたいことは、米山梅吉という人物の一生を通じて、日本の会社や学校、そして、ロータリークラブ。それぞれが創設されたときの、人々の思い、その後、その発展に尽くされた人々のことを学び、その大切なバトンを次の世代に渡していくこと、つないでいく大切さです。

 来年は、いよいよ、日本にロータリークラブが誕生して100年を迎えます。
 いまこの時に、その原点、源流を確認して、いまをみつめ、さらに前に進む、次世代に受け継ぐために、なにか少しでもお役に立てましたら、幸せに存じます。
 ありがとうございました。
 
9月11日 タイ ティワタ村の子ども寮支援活動について
島田 正敏 様
タイの古都チェンマイから南西に300キロ。車で約6時間走った山岳地帯に少数民族のカレン族が住むチパレ地方があります。約40の集落が点在し、カレン語を話す人々が高床式住居で暮らしています。学校は中心部のティワタ村にしかありません。学校まで歩くと、近い子で4時間、遠い子は2日かかります。そのため多くの子ども達が学校に通えませんでした。1992年、カレンバプテスト連盟の牧師であるダウ先生が、ティワタ村に寮を建てました。寮費は一ヶ月 100バーツ(約300円)です。28名の子供たちがいましたが、寮費を払えない親が多くて運営できない状況になりました。
1994年、私たちは現地を訪問しました。寮は一棟だけでした。屋根は、木の葉を集めて竹で刺したものを乗せ、床は竹を敷き詰めただけでした。部屋の真ん中を竹で区切り、男の子と女の子が生活していました。寮には電気がなく、車のバッテリーに蛍光灯をつないで、その下で勉強をしていました。
冬は零度近くになるのですが、子供たちに冬の衣服はなく、夏服のまま生活していました。夜になると気温が下がり始めますが、子供たちは毛布がないので、体を重ね合わせて寝ていました。食事は、辛いスープにご飯だけです。スープの具は、子供たちが育てた野菜でした。しかし野菜がないときは、みんなで山の中へ行き、食べられる野草を取ってきて具にしていました。バナナの木の芯の部分も貴重な食料品です。子どもたちは、小学校や中学校を卒業するとみんな村に帰って農業をしていました。高校に進学する生徒は一人もいませんでした。
2009年に学院創立125周年記念事業として生徒8名を日本に招待しました。生徒たちは日本の現状を見て驚いていました。帰国後には、来日した全員が大学や専門学校、神学校に進学しました。彼らは、奨学金を受給したり、アルバイトをしたりして経済的には苦しい学生生活を送りました。しかし現在は、教員、看護師、エンジニア、宣教師、日本語通訳として活躍しています。彼らの活躍を身近で見ている寮の後輩たちの学習意欲は、非常に高くなりました。今は寮の食堂で、薄暗い中で勉強している子供たちの姿を毎日見ることができます。子どもたちは、勉強することで新しい未来が開けることを知りました。

六浦小学校の主な支援活動
【1994年】
冬着を送りました。竹で作った女子寮を寄贈。支援活動を開始しました。
この年から教員が毎年現地に行き、毛布、古着、医薬品、食料、献金などを届け始めました。
初めての寮生(1994年)

【2003年】
本校からの献金で女子寮が完成し「第1回タイ訪問団」として3人の児童と保護者がティワタ村に行きました。
献金で建てた女子寮(2003年)

【2005年】
本校礼拝堂とチェンマイのバプテスト連盟会議室を繋ぎ、同時生中継でクリスマス会を行いました。寮の子供たち十数名がティワタ村から来てくれました。またチェンマイにある「愛の家」(エイズの子供たちの収容施設)の子供たちも来てくれました。「きよしこの夜」の1節をタイの子供たちが日本語で歌い、2節を本校の児童たちがタイ語で歌い、3節はそれぞれの母国語で歌いました。

【2006年】
「関東学院サービスラーニングセンター」を寄贈しました。
関東学院サービスラーニングセンター(2006年)
※「外務省国際協力局長賞」受賞(2007年)
*この活動を記録したビデオは、外務省主催「第3回開発教育/国際理解教育コンクール」に入選しました。また子ども寮の食事風景の写真(※)は、第4回コンクールで「国際協力局長賞」を受賞、第5回コンクールでは「学校賞」を受賞しました。

タイの人たちと三浦海岸へ遠足(2009)
車をプレゼント(2009)
【2009年】
創立125周年記念として 寮に車を寄贈ました。また創立記念式典に寮の生徒8名、ダウ牧師、ソムサック寮長、通訳のオップさんを招待しました。
生徒たちは、ホームステイをしたり、海に遠足に行ったりして交流を深めました。

【2019年】
「第18回タイ訪問団」がティワタ村を訪問しました。児童5名、保護者5名、教員4名、学院関係者6名が参加しました。
この寮は28人から始まりましたが、今は138人の子どもたちが学校に通っています。しかし、まだたくさんの子どもたちが、学校に行きたくても行けない状況です。カレン族は、独自の文字と言語を使います。子どもたちの親は、タイ語を理解できません。子ども達がタイで生活していくためには学校でタイ語を学習しなければなりません。

タイの子ども寮支援活動は、このような歴史を経ながら活動を継続しています。

9月4日 
新井 凜子 さん(ロータリー財団奨学生)
こんにちは、このたびロータリー財団地区補助金奨学生となりました新井凜子と申します。 まず簡単に自己紹介をいたします。 横浜市出身・在住で、小学校から高校まで川崎市にあるカリタスという学校に通っていました。大学は大阪大学に進学し、卒業後は汐留にある JSR という会社に勤めておりました。今年の9月からイギリスのロンドンで人類学を勉強します。専門は中国の新疆ウイグル自治区についてで、写真は大学4年生の時に研究で新疆師範大学を訪問した際に学生と撮ったものです。研究については後ほど簡単にご説明いたします。
次に留学先についてご紹介します。イギリス・ロンドンにある、London School of Economics and Political Science、通称 LSE という学校に進学します。学部は人類学科で、MSc China in Comparative Perspective (比較中国研究修士)という中国に特化したコースで勉強します。 LSEは1895年設立の社会科学系単科大学です。日本で言うと一橋大学のようなイメージでしょうか。 社会科学分野では世界大学ランキングで 2 位と、世界的に評価されている大学です。特徴としては留学生が多く、148ヶ国から学生が集まっています。過去にLSEに通ったことがある人の中には、ケネディ大統領や、The Rolling Stonesのミック・ジャガー、デイヴィット・ロックフェラーなどがいます。

人類学というのはあまり聞き慣れない分野かもしれません。私が学ぶのは人類学の中でも社会人類学と呼ばれる分野です。人々の行動や社会で起きている事象を、その社会のあり方や文化・風習、考え方から探ろうという学問です。フィールドワークを通じて人々とふれあいながら社会の諸問題へアプローチします。もともとは植民地時代にイギリスなど支配側が現地の「未開」の土地について理解するところから始まった学問ですが、今では現代社会の幅広い課題に応用されています。 例えば SNS 上のコミュニティや Youtuber などについて研究している人もいます。

私の研究内容について少しご紹介します。私は中国の新疆ウイグル自治区というところの言語教育や少数民族の言語使用について興味を持っています。新疆ウイグル自治区は、中国北西部に位置しており、北京や上海よりもカザフスタンやウズベキスタンなど中央アジアに近い地域です。面積は日本の約4倍、中国国土の1/6を占める広大な地域です。主にウイグル族と漢族が最も多く、その他にカザフ族・タジク族・ウズベク族・キルギス族など多様な民族が暮らしている地域です。ウイグル族はトルコ系の民族で、ウイグル語を使用し、多くはイスラム教を信仰していま す。もともと興味を持ったきっかけは、大学3年のころに新聞記事で、この地域で暴力事件が 頻発していることを知ったことでした。新疆では漢族とウイグル族の間で摩擦が起きており、2009 年には 200 人近くが亡くなる暴動がおきました。最近では「再教育キャンプ」の存在が度々ニュースで取り上げられています。このような民族対立の根本には言語教育や言語政策があるのではないかと考え、言語という観点から現地の不和を解消する手助けをしたいと思うようになりました。 中国政府は言語教育(漢語教育)を民族団結・調和のとれた社会を実現するための手段と捉えています。ウイグル族にはウイグル語という特有の言語がありますが、現在新疆では主要都市の学校でウイグル語の使用が禁止され、漢語(中国標準語)の使用が強く推進されています。もし必要以上の漢語重視があるとすれば、それが自分たちの文化が亡くなってしまうという危機感をあおり、むしろ民族間の対立を悪化させている可能性があるのではないかと考えています。こういった問題について社会人類学の視点から研究したいと思っています。

最後に今後の進路について述べますと、LSE卒業後は博士課程へ進学し、将来は研究者になりたいと思っています。博士では北米の大学進学を検討しています。なぜ北米かというと、言語人類学ということばと社会・文化について研究する人類学の中の一分野が盛んだからです。博士終了後、将来的には中国という専門性を活かして、新疆やその他地域の平和構築に貢献していきたいと思っています。
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