横浜アザミロータリークラブ
横浜あざみロータリークラブ/YOKOHAMA AZAMI ROTARY CLUB ROTARY INTERNATIONAL
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2008-2009 |2010-2011 2011-2012 2012-2013 2013-14 2014-15
 
2014~2015年度・卓話
例会日 タイトル 卓話者
 6月10日 発達障害を持つ子どもたちが、自分らしい人生を生きるように  篠山 淳子 様(NPO法人あではで神奈川理事長) 
6月3日  四国八十八ケ寺お遍路路を歩く  井田 雄三(横浜田園RC 
 5月20日 米国LA5にメークアップ  石川 紀久代 会員 
 5月13日 Heart & Earth の活動について   細谷 美佐緒 様  椎名 偲 様
 4月22日  拡大増強について 石井 富雄 様(横浜戸塚中央RC) 
 3月25日 ローターアクトについて  佐藤 佳一 様(新横浜RC) 
 3月11日 地域コミュニティーについて  大野 承 
 3月4日 世界の医療団 東京プロジェクトのご紹介  中村 あずさ 様
 2月18日 インターアクトクラブ 活動報告   クラーク国際高等学校 青葉キャンパス IAC会員
2月4日 世界を揺るがすテロ集団「イスラム国」の恐怖―日本人も標的、迫られる安全対策 佐々木 伸 様(東京西RC)
1月14日 三か国での生活で得たもの トゥルスベコフ・カリムジャン さん(米山奨学生)
11月12日 地区補助金のプロジェクト申請と有効活用 小山 宏明 様(川崎マリーンRC)
9月24日 横浜南部市場共栄会におけるCSR活動 大川 貴志 様
9月10日 ロータリー青少年交換プログラムに関わって 久米 彩恵子 様
8月6日 ライアーを聴く 原口 理恵 様
7月23日 食について「ごちそうの素晴らしさ」 井上 康紀 様
7月9日 ロータリーデー 森 節子 会員
 
6月10日 発達障害を持つ子どもたちが、自分らしい人生を生きるように
篠山 淳子 様(NPO法人あではで神奈川理事長)
発達障がいとは
発達でこぼこともいい、生まれたときから持っている特性で、治すものではなく、周りと本人の理解により、個性として生きていくことが出来るものと思います。
自閉スペクトラム症(ASD)コミュニケーション、社会性、想像力が独特注意欠陥多動症(ADHD)注意力、多動、衝動性学習症(LD)読み書き、算数など、何か学習に困難なものを持つ。

発会式
神奈川にADHDの子どもの親の会を作りませんかという「えじそんくらぶ」の呼びかけに手をあげてから15年になります。
3人, 4人と待ち合わせて会い、それぞれの想いを話しながら泣きました。 当時は多動症という言葉は聞いていましたが、ADHDのことは、世間の人はもとより、学校の先生も知りませんでした。どんな育て方をしたのかと学校でも家族からも責められました。公演で会うお母さんたちに、「動きが激しくて大変なの」と言うと、《子供ってみんなそんなものよ》と言われる。でもあなたの子は違うでしょう、と心の中で思うのです。話しながら流す涙は、説明しなくてもそのままわかってくれるという、安堵の涙だったように思います。
2001年5月「えじそんくらぶ」の高山さんをお迎えして、発会式をしました。 「えじそんくらぶ」の仲間の会にしていただき、約30人で活動を始めました。

あではで神奈川
どんな名前にしょうかといろいろ話し合っているとき ADHDのことをエーディーエイチディーというのは言いにくし1から、ドイツ語読みで、アーデーハーデーというのはどうかとの提案があり、「あではで」という名に決まりました。子供たちがあでやかに、はでやかに育つようにとの願いを込めて。

ADHDの会から発達障害の会に
ADHDの親の会として始まった会ですが、子どもたちの成長とともに、LD,アスペルガー、広汎性発達障害などと、診断名も変化していきました。
また、成人の本人たちも、自分たちの参加できる会を作りたいと集まってきました。今では、発達障害全般の、子ども、その親、また、成人の本人たちの会になりました。現在3 0 O家族以上の会員がいます。

セルフヘルプの会として
出来た頃は、いろいろな集まりをしました。キャンプ、勉強会、遊びの会、講演会など。
今大事にしているのは、会員同士が会って話し合うことです。
自分自身の人生を語り、医療、療育、教育ではないところで、自分の、あるいは子供の持つ特性を理解し、その特性を持って生きる自分を受け入れ、自分らしい生き方を見つけようとしています。

活動
横浜を中心に、桜木町、横浜、大船、川崎、あざみ野、たまプラーザなどの各地域で談話室をしています。各会は月1回、数人から、20人くらいの会です。親の会、成人の本人の会、誰でも自由に参加できる会、中高生を中心にした会などがあります。
そのほか、ペアレントトレーニンをしています。
また、毎年秋にしている「自分らしく生きる」の講演会では、会員が自分の生きているありのままを語ることを続けています。

私たちの夢
会が出来た頃の夢は、発達障害がみんなに知られ、一つの民族のように市民権を持つことでした。
思いがけない速さで、発達障害についての理解、支援が始まり、最初の夢の実現の兆しが見えてきました。それには、これまでのたくさんの専門家の努力、そして何より親の、特にお母さん方の、忍耐と努力があったことを思います。
今、また、新しい夢があります。児童精神科医の佐々木正美先生からのメッセージ、「発達障害のまま幸せに生きる」という願いです。地域の人々、学校の先生、家族に理解され、やがて自分自身を理解し、生まれたときに備わったものを受け入れ最大限に生かして、自分の生き方を発明し困難を克服していく・・・。これも、私たちの思いを超えた速さで実現できる日が来ることを願っています。

ホームページ http://www.adehade.net
メールアドレスadhd@d04.itscom.net
電話、FAX 045-904-4505
 
6月3日 四国八十八ケ寺お遍路路を歩く 
 井田 雄三(横浜田園RC 
第一回目2007 年7月27日スタート 今回は区切り打ちを選択
徳島県第1番「霊山寺」より出発 第17番「井戸寺」まで
「井戸寺」から第37番「岩本寺」まで 更に四万十川河口の中村終点
中村から第38番「金剛福寺」(37~38まで94km)を経て第64番「前神時」より6kmの西条終点
西条出発第65番「三角寺」から最終点(ゴール)第88番「大窪寺」更に第1番「霊山寺」まで60kmを1日で歩きついに結願なる。バンザーイ
歩き終えた感想「2度と来るものか!」とにかく「キツカッタ」です

第二回目 あれから約5年70歳を目前にもう一度「ゆっくり」楽しみながら歩きお遍路に再挑戦を!それも「逆打ち」88番スタート→1番を目指す順打ちの3倍厳しいといわれ、又どこかで「お大師様」に出会い援けられると言われています。厳しい理由は次の札所を示してくれる「シール」→が1番からの表示で、逆打ちの場合裏に貼ってあるのでつい見逃してしまうからです。それもあって迷いながらの旅となってしまいます。
2012年3月15日から4月22日計39日の通し旅。季節は初春「梅」「桃」そして「桜」と季節の移ろいを体感しながらの歩きお遍路を満喫し最後に「高野山」奥の院にお参りし 本当の結願となりました。

いろんな人に出会い、親切な「お・も・て・な・し」(お接待)も数多く受け人生最後の長期間・長距離旅行を、楽しんだ日々でした。

(おまけ)体力のある内に一度はお遍路旅を経験される事をお勧めします。
 
5月20日 米国LA5にメークアップ 
石川 紀久代 会員 
5月2日、Rotary Club of Los Angeles, LA5に、主人、娘(真理子)、娘婿(ロバート)、友人(ジム)とでメークアップしました。ロバートとジムは弁護士で、今回ビバリーヒルズの弁護士の卓話が予定されていたので、興味があるので参加しました。
 お天気が良く、緑の木やジャカランダの花などが美しい街のダウンタウンの一角にある、素晴らしい古い建物の中にクラブがありました。
 LA5は1909年に5番目のロータリークラブとして設立された由緒あるクラブで、世界の中でも最も大きく活動的なクラブの一つであるとのことです。
現在の会長Prez Alanさんはとてもフレンドリーで、見るからにお人柄の良い素晴らしい方でした。
とても和やかな楽しいクラブでした。

<プログラム>
・点鐘
・国歌斉唱
・会長挨拶
・卓話(弁護士)
・その月に流行っている曲を流し、リラックスする。
・会長とバナーの交換 (会長が私の席までいら
して、バナー交換をして握手をしました。)
・挨拶(石川紀久代)準備もなく、下手な英語でご挨拶をしました。
・100歳になられたロータリアンのお誕生日会 
(皆でハッピーバースデイを歌い、ケーキでお祝いをする)
・点鐘



隣に座って下さった福田様から、私が質問しました奉仕活動についてメールが有りました。
「お会い出来て嬉しかったです。ご質問の奉仕活動についてメール致します。
我々のLA5はとにかくイベントが多いです。奉仕活動も数多く色々と有ります。直近では、大きなものは奨学金を今度大学に入学する高校生に出すのですが、24名に約100万円ずつ渡します。予算は2000数百万円有ります。6月初めに渡すことになっています。私もその担当をしており、面接などしましたがみんなとても優秀な学生ばかりでした。ほとんどの親の年収が200万円以下でした。そのほか来週はホームレスの人たちにサンドイッチを作ってそれを配る予定です。私も参加します。そのほか身体障害者の子供たちとボーリング大会をしたり、色々なことをして遊ぶ1日や、老人ホームを訪ねて、そこの皆さんと話をする等有ります。
 そのほか資金集めのための会長主催のパーティでオークションをしたりします。この前例会で買っていただいた5ドルずつの抽選なども半分はチャリティ資金になります。メンバー同士の食事会なども良く有りますが、これも一部はチャリティに回ります。」
 それ以外に手足を無くしたような障害を持つ退役軍人にサポートする犬をプレゼントするという活動もされているとのことです。
 
5月13日 Heart & Earth の活動について 
細谷 美佐緒 様  椎名 偲 様

Heart & Earth  ~地球の子供たちへの贈り物~
Heat & Earth は、去年の2014年4月に発足いたしました。
代表の磯野共代の強い想いがここにあります。
「子供たちに音楽を届け、子供たちの笑顔がみたい」
「子供たちの可能性を広げたい」
率直で純粋な想いから、「Heat & Earth」は昨年スタートいたしました。
私達は、2つの働きかけを趣旨としています。

1つ目は…
日本でもテレビやラジオから事件、事故の暗いニュースが多く流れている昨今です。現在、日本でも虐待や自然災害により心が傷ついている子供達が多くいます。又、海外でも、テロや戦争の争い事や貧富の差が激しい途上国の子供達が、教育を受ける事も家族と安心して生活することもできず、親の愛を充分に受けられないなどにより、心に傷を持った子供達が沢山います。

私達が望む事は、皆さんと同じく平和な世界です。一人一人が心豊かに愛に満ち幸せでいる事です。そのために、私達は、音、音楽の力で次世代の子供達のハートを豊かにしたいと思っています。
音楽は、とても力があると思っています。肌の色や国境、言葉が違っても、人々の心を一つに繋げる力があると信じています。国境を越え、子供達が音楽で交流をし、仲よくなる事が平和な未来へと繋がっていくと信じています。



2つ目は…
子供達の持っている無限の可能性を広げ、自立に繋がるような働きがけをしたいとも思っています。遊びを通して触れ合い、各分野の専門家と交流する場を設け、「自分の得意な事、好きな事」に子供自身が自分で気づくための働きかけをしたいと思っています。


Heart & Earthの想いは、ここにある絵、写真が全てを語っています。

平和で黄金に輝く未来の地球に新たな新芽が出ています。
それを次世代の子供達の小さな手が包んでいます。
この小さな手によって地球が育まれていきます。
私達が出来る事は、その小さな手を愛と想いと音楽でサポートすることです。

今までの活動を簡単に報告させて頂きます。

資料参照

【今後の活動予定】

先月4月に、川崎市へNPO法人「Heart & Earth」設て、8月中ごろ認証予定です。

① 音楽交流
・生の音楽に触れる機会の少ない日本や世界各地の
子ども達や人々に音楽を届ける。

・今までに交流した途上国の子どもたちを日本に招待し
日本の子ども達と音楽の交流を図る。
音楽オリンピック(仮タイトル)を開催し、音楽で子どの心を一つに繋げる。

音楽オリンピックとありますが、どんな事をするのか?いいますと、
鍵盤ハーモニカ、笛、色々な楽器を使って、又、其々の国を代表する楽器や踊りを入れたりして、世界中の子供達と「一つの曲を演奏し、心を一つにする」達成感や、繋がる喜び、感動を体験することによって、一人一人の心に刻んでもらいたい。

②自立支援
子ども達と遊びを通して交流を図る。各分野の専門家と
交流をし子ども達の可能性を広げ自立できる働きかけ
をする。


オリンピック終了後、色々なブースを設けて、例えば、パン教室、お花の教室、日本語を教えたり,日本の文化的な折り紙やけん玉等を子供達に体験してもらう事により、何か子供達に自らの可能性を広げる欠片を掴んでもらえる機会を設けたいと思っています。

これから、一歩一歩この私達の「想い」を繋げるために、皆様のご理解とご支援を頂きながら、活動していきたいと思っています。
これからもご協力よろしくよろしくお願いいたします。

【詩】
【私と小鳥と鈴と】
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。


【こだまでしょうか】
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。

【星とたんぽぽ】
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれた たんぽぽの、
瓦のすきに、だァまつて、

春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすゞ 作

 
 
4月22日 拡大増強について
石井 富雄 様(横浜戸塚中央RC) 地区拡大増強委員長

プロフィール

昭和22826()

ロータリー歴

1975年  横浜本郷RC入会(創立時)
1992-93 横浜本郷RC会長
1992-2000 地区副幹事(横浜戸塚中央RC創立により移籍


2001-02 地区米山学友委員
2002-03
 地区米山学友委員長

2003-04 地区米山奨学会委員長

2004-06 地区米山奨学会委員長

2006-07 8グループガパナー補佐
2009-10 横浜戸塚中央RC会長

2010-11 地区国際奉仕委員会副委員長
2011-12 地区米山学友委員長

2012-13 地区拡大・増強副委員長
2013-14 地区拡大・増強副委員長
2014-15 地区拡大・増強委員長

 
 
3月25日 ローターアクトについて
佐藤 佳一 様(新横浜RC)
ローターアクトで得たこと
 大学生になるときにまず悩む事。第二外国語。サークル。履修登録。特にサークルは4年間の付き合いになるのでとても重要な選択になると思います。数ある活動の中で、私がローターアクトを選んだのは「幅広さ」がとても魅力的であったからです。
ローターアクトは18〜30歳の組織なので、普通の大学生活を送っていたら交流する機会が少ない、社会人の方々と一緒に活動することができます。1つのプロジェクトを進めるにしても、実際に社会で働いている先輩方のレベルの高いメソッドを学ぶ事が出来ます。また、人生経験が豊富な先輩方に恋愛相談なんかもできます(笑) もちろん、同世代もたくさんいます。私はよく94年会という名の同期会も開いて遊んでいます。

さらに、ローターアクトの先輩のみならず、みなさんご存知のロータリアンの方がいます。アクトの先輩方以上に経験豊富なロータリアンさんから、アドバイスを頂けることは、他の組織ではなかなかないことではないでしょうか。アルバイトなどで一通りの敬語を学ぶことはできますが、話す敬語と書く敬語は少し違います。社会人になる前に一通り勉強ができることもアクトの魅力の一つだと私は考えています。

佐藤 佳一 様


岩 篤志 さん
  新横浜RAC会員
 インターアクトもですが、ローターアクトも日本全国、全世界にあります。地区の行事から、全国研修、アジアの研修…と自分が求めれば求めるほど世界中の人とつながることができます。私は国際交流にも興味があるので、アクト同士で英語の勉強をしながら、青少年交換の留学生とコミュニケーションをとったり、モロッコのローターアクトの女の子とメールをしたりしています。
 私は人と出会うことの楽しさをローターアクトで知りました。初対面の人や年上の人とご飯を食べる、ということが普通にできるようになりました。(笑)きっとこれは私の人生で財産になることじゃないかなと私は思っています。
 ローターアクトで入る事でとても刺激的な日々を過ごせること間違いなしです。突然「入会」とまでは言わないので、一度遊びにきてみてください(^^)

<ローターアクトの魅力>
・ 同世代のみならず幅広い世代の人と交流できる!
・ 高いレベルの社会勉強を学生のうちにできる!
・ 世界の人と交流することができる!(求めれば求めるほど活動の幅が広げられる)
・ 刺激的な日々をおくれる!
・ (特に新横浜は多趣味な先輩が多いので、私生活の面でも色々なことを教えていただけてとっても楽しい。)  
                                  (新横浜ローターアクトクラブ水野梨紗さん文責)
 
 
3月11日 地域コミュニティーについて
大野 承
横浜市青葉区美しが丘に1970年(昭和45年)転入。2005年に退職後すぐ自治会長に選ばれ、これを契機に自治会、横浜市の委嘱団体、老人会、学童保育、社協など多くの活動に係わってきました。退職後は趣味の世界に生きるつもりであったが、意に反していわゆるボランティア人生に入ったのは、自治会長というきっかがあったことと同時に、1970年当時の地域の先輩たちの献身的な地域活動を隣人として見てきたせいでもあります。
 この間の活動を通して、この地域に必要なものは「隣組的近所付き合い」と「地域住民の居場所」と「最後の精神的よりどころとしてのぽっくり寺やぴんころ地蔵的なもの」ではないかと強く思うようになってきました。「隣組」については自治会の「いっとき避難訓練」など通して実現しつつあります。そして昨年開店した3丁目カフェが「地域住民の居場所」のひとつの実現となります。
 開店した3丁目カフェは実は美しが丘1丁目の商業店舗を賃借しており、運営主体も株式会社となっており、公的補助や助成をうけボランティアが運営するいわゆり「コミュニティーカフェ」とは大きく違っています。実は最初の3丁目カフェの構想はこの「コミュニティーカフェ」に近いものでした。美しが丘3丁目の住宅街にある横浜市の土地を廉価で借用し、資金助成を受けてデッキやプレハブを設置して、無償に近いボランティアの運営で、半径1㎞以内の住民を対象にした拠り所とし、提供するものは簡単な喫茶軽食を計画していました。しかし実現化には大変な努力と長い時間が必要なことがわかりました。
 その具体的な制約は、第一種低層住宅専用地域や独自の地区計画により店舗をつくることが大変困難なこと。さらには横浜市の土地であることによる、恒常的な建物が建てられない、金銭のやり取りをともなう商売ができないという制約です。しかしこれをクリアする方法もあります。それは長年の試験的実証活動と、地位住民の総意による例外適用申請です。ただし実現するためには5年から十数年かかります。
 そんななか、東急電鉄と横浜市の「次世代郊外まちづくり」活動が始まったこともきかっけで、より手軽に始めれらる商業地域での店舗を賃借することで3丁目カフェをスタートさせました。3年後の目標値としては、1日120名の来客、年間の催事700件、契約利用団体100などです。店での催事としては、ミュージック系のライブやカルチャースクールから少人数でのワークショップなどが中心です。しかし何よりも優先するのは、商業店舗としての経営安定です。開店から半年、ようやく目標値の50%まで漕ぎつけましたが一層の利用客の増加を目指して、地域住民へのアメニティー提供を行ってまいります。
 そしていつかは、最初の3丁目カフェ構想に近い第二第三の3丁目カフェ展開を、そして最後には「ぴんころ地蔵」の建立を目標に地域活動を続けてまいります。

プロフィール:東京生まれの団塊世代。57歳で退職後10年間の地域活動を経て、昨年コミュニティースペース3丁目カフェを開店。
 
 
2月4日 世界の医療団 東京プロジェクトのご紹介
中村 あずさ 様 東京プロジェクト コーディネーター
東京プロジェクトはホームレス状態の方、ホームレス状態のなかでも特に「障がい」をかかえた人たちが、適切な支援を受けながら環境を整
えることで心身共に回復し、人とのつながりのなかで安定し安
心の地域生活を実現することを支えることを使命として2010年に活動をはじめました。
すべての人に、衣食住が十分な生活をして、社会参加し、医療を受ける権利がある ということ
どんな人にも回復する力があるという信念と、すべての人が社会にとってかけがえのない大切な存在であるという考えのもとプロジェクトを行っています。 
 今まで支援困難者と呼ばれ福祉的な枠組みからも排除され、幼いころからずっと居場所がなくホームレス状態へと至った方たちが、心身や生活を回復し、他の仲間のために、また地域のために力となり私たちと一緒に活動を行っています。
地道な活動ではありますが、本日のことをきっかけにますますご理解を深めお力添え、ご指導いただけましたら幸いです。

中村 あずさ 様


安部 さやか 様
プロジェクトアウトライン
プロジェクトは 自団体を含め4団体以下多岐にわたる活動を行っています。
炊き出し、アウトリーチ(夜回り)
シェルター提供
医療・福祉の相談会
パン屋運営 
リハビリテーションプログラム
各種医療福祉手続きのサポート
地元大学やNGOの受託事業 
メディアや講演会において発信
小・中・高校や大学、専門大学での授業など
政策提言活動


課題
支援活動を行っていると、たくさんの人たちが支援を受け、生活環境をととのえることでみるみると変わり、その変化にやりがいや活動の大切さを感じさせられるのですが、一般的には「ホームレス」や「障がい者」など社会的に「周縁化」され、弱い立場にある人たちの実態は、なかなか見えにくく理解も得にくい活動ではあります。
 「ホームレス」というと従来は失業したり身体を壊して働くことが難しくなった50代後半~60代を中心とする男性でしたが、現在は若年化がすすみ、10代で「ホームレス」となった方に出逢うことも少なくありません。また家庭内暴力から逃げてきている女性や障がいのある女性も増えています。 
 今までの最低限の生活を保障する支援 (それすらも一般的にはままならないのですが)では不十分で、幼いころから決して心を許せる人がいなかった、という方や安心して生活をし、将来のことを考えて生活を組み立てていく経験をしてきた来なかったひとたちには、こころのケアやこれからを生きていくための力をつけていってもらう必要があります。一方で、彼ら彼女らの多くには「人の役に立ちたい」という思いが強いことが多く、現にちょっとしたボランティア活動や地域活動に参加する当事者も少なくありません。 
 ただ、尽きせぬ「ホームレス」の人たち、こころに深く傷を負った人たちへの手当には膨大な人的パワーや時間が必要で、東京プロジェクトの現場でも少ないボランティアメンバーやスタッフを中心に毎日身体をすりへらしながら試行錯誤しているところです。 
 さまざまな工夫や取り組みのしがいのある分野ではありますが、常に変化しつづける現場に圧倒的に人手やアイディア、経験が不足しています。
多くの方の温かいご協力を得られればと思っております。 

プロフィール:
中村あずさ(なかむら・あずさ)
世界の医療団 東京プロジェクトコーディネーター ・社会福祉士
2000年より炊き出しや夜回り、相談援助などホームレス支援活動のボランティアの活動に参加する。
03年森川らと豊島区内でホームレス状態にある方たちを支援する組織TENOHASIを設立。
2009年より、世界の医療団入職。現在同団体東京プロジェクトコーディネーターとして連携する
4団体とホームレス状態にある中で特に支援がむずかしいと言われる障がいなどの生きづらさを
抱えた方たちの生活支援の運営を行う
 
 
2月18日 インターアクトクラブ 活動報告
クラーク国際高等学校 青葉キャンパス IAC会員
1年 篠田 加菜枝 さん
私達は1年間こんな活動をしました。
私達は22名で活動し、主に東日本大震災復興支援活動・クラーク記念ヒマラヤ小学校の支援を行っています。
今年は5つの班に分かれ活動しています!
ヒマラヤ班では、私たちの高校の支援校であるクラーク記念ヒマラヤ小学校の支援を中心に活動しています。主な活動は、ヒマラヤ小学校の空手授業支援と女性自立支援活動です。これまでに行った募金の合計金額はおよそ60万円になりました。
ネットショップ班では、この女性自立支援活動の女子職業訓練にて作成されたグッツを販売しています。売り上げをまた職業訓練費として送る、循環型を目指しています。
今手元にある品は完売することができました。次の2月の職業訓練でグッズを2月以降に販売していく予定です。
新規班では7月18日、サダナ・タパさんが「女子教育がネパールの未来を作る力になる」というお話しとディスカッションを行い、企画・進行を新規班が担当しました。
愛と勇気とさんま班では、宮城県女川町のサンマ1000匹無料配布するお手伝い・横浜南部市場 大川たかしさんの講演・3.11忘れない愛と勇気とさんまプロジェクトで三陸ワカメとエビを使ったパウンドケーキを販売しました。
仙台班では、リルーツというボランティア団体に物置を提供する事や、「震災を風合させない為のイベントを開催しました。
現在仙台班を中心にチャレンジカップという大会に参加しています。
私たちの活動を拡散することや、一緒に活動してくれるサポーターを集めています。私たちの活動で、誰か小さいボランティアを始める第一歩になれればと思っています。
その他にも 今年の活動が評価され、第18回ボランティアスピリットアワードで、3.11忘れない愛と勇気とさんまが ブロック賞を受賞し、
クラーク記念ヒマラヤ小学校支援班が コミュニティ賞を受賞しました。
今年度も、感謝の気持ちを忘れずに活動していきます!

世界中の人と繋がる
1年 榮村 星莉菜さん
 今回3日間の海外研修に参加して新しいことに関わるきっかけ、多くの人との繋がりを増やすことができました。多くの人と関わったなかで特に、私が感じたことは、国を超えて世界の人と繋がることができるということです。なぜこのようなことを感じたかというと、私は、台湾に行くまで、現地の人と会話することを心配していました。言語の違いから相手とコミュニケーションを上手くとれないのではないかと思っていたからです。海外研修に向けて語学の勉強に取り組みましたが、その短期間できちんと話すことができるようにはなれず、現地の交流が楽しみな気持ちがある反面、とても不安でした。しかし、台湾のインターアクターの方はそんな不安な気持ちをサポートしてくれるように身振りや手振りで内容を伝えてくれたり、ゆっくりと話してくれたり工夫して私たちに声をかけてくれました。私はそんな台湾のインターアクターの方に感謝と嬉しさで気持ちがいっぱいになりました。会話が進むと私も相手に応えたい、なんとか自分の気持ちを伝えたいと思い、簡単な英単語を並べ、つたない英語ではありましたが、積極的にコミュニケーションをとりました。すると、不思議なことに自分が伝えたいことが相手に伝わるのです。私は英語を話すことが苦手で単語も沢山間違えていることもあったのですが、私の身振りや手振り、表情から伝えたいことを理解してくれ通じ合うことができたのです。この時私は、互いに話す言葉が異なるものだったとしても相手に伝えたい、という思いさえあれば、気持ちが通じあうことができるということに気が付きました。
 これは、今回の海外研修で一番感じた世界中のどの国の人とも繋がるということになると思います。海外研修に行く前の私は海外に興味はありましたが、世界の国の人と繋がることはとても難しいことだと考えていました。その理由は、やはり言葉の違いでした。しかし、今回の海外研修にて言葉だけを使って会話をすることが、全てではないということを学びました。大切なのは表情や、共有する感情だと思います。普段自分の国だけに閉じこもっていると言葉でコミュニケーションをとることが当たり前で、表情や感情を共有して会話していたことを忘れてしまっています。表情や感情が世界共通であり、一番のコミュニケーションツールであると今回の海外研修で改めて感じました。これらの考えから海外研修に参加して気が付いたこと、学んだことを今後も活かすことができたら、海外での友達を増やすことができ、さらに国際交流、国際理解を深められると思います。国際理解を深めるということは、相手の国の良さを知ることですが、同時に日本の良さを知る事にもなるのです。私は自分自身が改めて日本の良さを知るということは国際的に活動するときに相手に日本の良さをより知ってもらえることになると思いました。今回そのきっかけとなることを学ぶことができました。
 また、今回海外研修で沢山の台湾のインターアクターと親交を深めることができました。
たくさん笑って沢山話をして充実した日を過ごすことができ、台湾で会う最後の日は別れるのがとても寂しかったです。ここまで親交を深め、充実した日を過ごせたのは、台湾のインターアクター方が私たち日本のインターアクターをとても温かく迎えてくれ歓迎してくれたからだと思います。よって、次に会うときは、私達日本のインターアクターが台湾のインターアクターの方を迎えてあげたいそう思います。そのためにも現地での関わりだけで交流をとどめず、連絡を取り合い今後も親交を深めることができる関係を築いていきたいです。そして、私はまた台湾のインターアクターと会うときのために語学の勉強、国と国を結ぶことができるボランティア活動に力をいれていきたいと思います。
 
 
2月4日 世界を揺るがすテロ集団「イスラム国」の恐怖―日本人も標的、迫られる安全対策
佐々木 伸 様(東京西RC)
Ⅰ、イスラム国の出現
 ▽世界を驚がくさせた電撃作戦
 ▽なぜ残虐になれるのか
 ▽スンニ派の不満を吸収
Ⅱ、目的は何か
 ▽サイクス・ピコ協定の取り消し
 ▽指導者バグダディの素顔
 ▽キャンプ・ブッカの役割
Ⅲ、組織の実態
 ▽アラブの春とシリア内戦への介入
 ▽資金源は油田、身代金
 ▽ハイブリッド組織――武装ハイテク集団
 ▽構成員の半分は外国人
 ▽アメとムチ
Ⅳ、日本が標的のトップに
 ▽テロ拡散の脅威
 ▽巻き返しに出るアルカイダ
 ▽標的のトップになった日本人
 ▽アジアにもリスク広がる
Ⅴ、終わりなきテロとの戦い 
 ▽空爆では壊滅できず
 ▽2つの戦線
 ▽負の遺産を次期大統領に

(プロフィール)
早稲田大学商学部卒 共同通信社入社
ベイルート支局長 カイロ支局長 等歴任
同社顧問、共同通信社客員論説委員
星槎大学客員教授(現代中東政治)
 
 
1月14日 三か国での生活で得たもの
トゥルスベコフ・カリムジャン さん(米山奨学生)
こんにちは、トゥルスペコフ・カリムジャンと申します。本日、このような場でお話する機会をもうけていただきありがとうございます。私自身、大変貴重で光栄だと感じています。
本日、自分の自身の事と母国であるカザフスタンについて話したいと思います。カザフスタンは人口1600万人と少ないですが、世界で9番目の大きさを誇り、元ソ連に値し中東にあります。元ソ連の影響もありロシア語を話せる人が90%以上です。
私もロシア語とカザフスタン語を話せます。多くの皆さんはロシア語とカザフスタン語は同じ言語だと思いがちですけれども、まったく違います。
例えば、カザフスタン語で「こんにちは」はサレメッスィズ ベロシア語はズドらーストヴィチェと言います。しかし、今のカザフスタンではソ連の影響もありましてロシア語をメインで話すごとが多いです。カザフスタンの首都はアスタナです。しかし、一番大きい都市はアルマティです。この2つの都市が有名です。通貨はテンゲと言います。1テンゲ=0.58円ぐらいとなっています。

 私は日本に来て、カザフスタンという国はやはり知名度があんまり低く、いいイメージをもたれてません。中東なので戦争とか砂漠が多いとか色々言われることがあります。しかし、そんな事ありません。現在はカザフスタンは大変向上発達しています。石油、天然ガスなどエネルギー源に恵まれてるいる資源大国です。それのお陰で、日本と関係も密接であります。
2011年に冬のオリンピック開催されました。日本からも多くの選手が来ましたて、その時に調度私もカザフスタンにいました。試合あんまり見ることできませんでしたけど。私のお兄さんが日本人の通訳をしてました。私、寒いの苦手なのでずっと家にいました。
カザフスタンでは寒くなるとマイナス10~20とかになることもあります。

 宗教は70%がイスラム教、キリスト26.2%となっています。イスラム教といえば、豚肉、お酒、禁じられてるというイメージですけど。カザフスタンではそれを守る人達が減少しております。自分も豚肉もお酒も大好きです。
皆さん一度聞いた事あると思いますけど、イスラム教ではラマダンというのがあります。ラマダンというのは、明るい時間の飲食を禁じている期間のことです。アラブといった多くの国ではこの時期、昼間はレストランなど外食業がすべて閉まってしまいます。しかし、カザフスタンでは閉まっていません。カザフ人は一部の人しか断食しません。私も小さい頃1回ラマダンやったことありますけれども、すごく大変でしたし断念しました。
日本とカザフスタンの食文化も全く違います。カザフスタンの主食はパンで、魚などほとんど食べることがありません。私も、日本に来て始めて刺身といった生魚や馬刺しを食べました。つい最近まですごく嫌いでしたけど。居酒屋のアルバイトでのきっかけで好きなりました。その代わりにカザフ人は肉をたくさん食べます。カザフスタンでは「オオカミの次にたくさんの肉を食べるのはカザフスタン人」ということわざもあるくらいです。特に馬肉料理が有名です。「カズ」と呼ばれている。保存肉のことです。馬肉に塩、こしょう,にんにくをまぶし、腸に詰めて2~3時間弱火で茹でる

 2ヶ国語を多用しているカザフスタンでは学校もロシア語とカザフスタン語の2つに分けられています。因みに、私はロシア語の学校に通っていましたが、私のお兄さんはカザフスタン語の学校に通っていました。
カザフスタンは日本と教育文化が違います、まず第一に挙げられる例は学年の始まる日が日本は4月ですけれども、カザフスタンは9月1日です。日本は3学期制ですけどカザフは4学規制で夏休みは6月~8月の3ヶ月です。学校教育は日本と同じく小、中、高と同じですけれども、計11年間と日本より1年少ないです。高校は2年生に卒業し、後の1年間は軍隊に行かなくてはなりません。私は高校海外で卒業したので軍隊には行っておりません。
 
 私はカザフスタンに10歳まで住んでました。10歳の時に親の影響で日本に来日しました。その時初めて異文化を体験しました。全く知らなかった日本。とても不思議な文化やまったくカザフスタンと違う食事。言語もわからなかったので最初は戸惑いを感じました。例えば、丁寧な礼儀や上下関係がちゃんとしてたり、建物内での土足は駄目だったり、お風呂の使い方などが不思議に感じました。食で言えば生魚や納豆といった不思議な食べ物があって違和感を感じました。でも、僕も1、2年経つと不思議にその文化に馴染んできましたし、それが日常になって、今では日本の文化を好きになりました。こういった所が自分の心得の変化だと思いました。
 
 中学校を卒業した後、日本の高校に入学して充実した日々を送ってましたが、新たな挑戦、経験をしようと思い高校生から短期大学までアメリカに留学しました。しかし、僕が描いてたアメリカの生活は全然違いました。すぐにアメリカの高校に入りましたが英語も全然しゃべれず、上手くコミュニケーションが取れなかったです。アメリカ人は日本と違ってノリは良く、学校では話しかけてくれますけど、その後の長い付き合いをしてくれる人が少なかったです。だが、アメリカの留学をきっかけに多国籍の友達がいっぱいでき、その人達と一緒に英語を学び、だんだんアメリカンライフに慣れてきました。カザフスタン、日本、アメリカとそれぞれ長く住んでいましたが、私にとってやはり「日本」が一番居心地良く感じました。設備も勉強する環境も整ってる日本で勉強し、就職したいと考えました。 

 卒業までにもっと知識や経験を積んで、自分の国際観光会社を作りたいと思っています。現在は、「観光」を学ぶために横浜商科大学に通っています。私から見てカザフスタンという国は世間にはまったく知られていないと思いました。そのため、観光という分野を勉強し、将来はカザフスタンという国を世界中のみんなに知ってもらうために何か貢献できたらいいなと思っています。そのために、今以上の国際交流をし、日本の有名観光地を自分の目で見たいです。ロータリークラブでも、積極的に皆さんと話して、いろんな事を経験し、学べたらいいと思っています。皆様よろしくお願いします。ご清聴有難うございました。
 
11月12日 地区補助金のプロジェクト申請と有効活用
小山 宏明 様(川崎マリーンRC)
地区補助金とは?
地区補助金は、地元
地域や海外の地域社
会のニーズに取り組
む、比較的小規模で
短期の活動を支えるための補助金です。補助金をどの活動に使うかは、各ロータリー地区が決定します。
予算・金額
①地区補助金一人道的プロジェ久卜予算金額は、年5百万円前後あります。(奨学金は別途あり)
②地区補助金一人道的プロジェクト1つに対し10万円~百万円を審査し支給します。(大体10~50万が目安)
受領資格
③補助金管理セミナーに毎年出席(11月~12月)。
④MOU毎年提出(署名2名 会長エレクト・ノミニー)

補助金(DG・GG共)受領資格の指針
①ロータリアンが積極的に参加すること。
②既に完了済みあるいは進行中のクラブや地区の活動や経費を支払う目的で補助金を使用しないこと。
③承認前に経費が発生してはならない。
④補助金参加者の利害の対立があってはならない。

制約事項I-1(よくある質問抜粋)
① RIプログラム(lA・ RA・青少年交換・RYLA)不可
(費用が地区予算である為。他プログラムに補助使用は不可。)
②地域社会に対する継続的または過度の支援
(補助金を継続的に支援しなければならないプロジェクトは不可。補助金終了後もプロジエクトが持続して独自に維持できる事。)
② 久的信託、利子の発生する長期口座の開設
(補助金は運用してはいけない。持続性の為の資金をメンテナンス費用捻出などのために運用するのはOK。要相談)
④土地や建物の購入。人が居住、仕事、営利目的の活動に従事するための建造物
(転売可能、商売につながる可能性がある事に補助金使用不可)
⑤募金活動
(募金活動が付随しても良いが、補助金を募金してはならない)

制約事項I-2(よくある質問抜粋)
⑥人道的活動または教育的活動に直接関連していない広報活動
(プロジェクトの参加募集のために補助金使用OK。
成果の広報やロータリーの広報を目的として補助金使用不可。500ドル以内で可)
⑦500ドルを超える、プロジェクトの標識・広告。
(垂れ幕、車いすにつけるプレートなど)
③他団体の運営費、管理費、間接プログラム経費。
(例えば、コピー機贈呈はOK。コピー機リース費用、人件費は不可)
⑨受益者や協力団体への使途無指定の現金寄付
(現地・他の協力団体の方が安く買うことができる場合もあり、購入品を定して渡すのはOK。購入後業者の領収書を保管)
⑩18歳未満の青少年の海外渡航費(親または保護者同伴の場合を除く)
(奨学生なども不可。教師の同伴は保護者とはみなされない。
例えば、18歳未満者で手術・治療を受けるための海外渡航費はOK。

地区補助金審査方法
①審査基準優先順序
1、緊急性 2、人道的優先度
3、貧困度合 4、継続による成果
②その他要件として、
「一緒に汗をかく事、多くの人と話す事」
では、社会のニーズに応える為に考慮する点として(これは、他地区、新地区補助金選考要件を引用していますが、)
奉仕当り調査が必要な点として、
1、緊急性 2、人道的優先度 3、貧困度合 4、継続による成果
そして同時に公共イメージUPに欠かせない要件として、「一緒に汗をかく事、多くの人と話す事」が上げられます。
また、例えば植樹による地域貢献PJがあったとします。すべて造園屋さんにお任せでも植樹。しかし苗木を購入し、ロータリアンに造園業がいたと
と仮定し、地域小中学生と共同で手作業植樹をして、関わった人の氏名を入れた看板を設置しても植樹。同じ植樹でも、片方は社会奉仕のみ、片方は、社会奉仕・職業奉仕・新世代奉仕と3つの奉仕活動が同時に活動していると思います。
今まで、2590地区はとても良い人道的支援PJをしてきました、この緊急性・人道的優先度・貧困度合継続による成果・一緒に汗をかく、多くの人と話す。先ほどの、大切な考え方として、5つの奉仕部門は同時に行動を起こさなければならない。
奉仕活動は関連した物。社会のニー烈こ応えたか。この内容をぜひ継続して頂ければと思います。
 
9月24日 横浜南部市場共栄会におけるCSR活動
大川 貴志 様
愛と勇気とさんま実行委員会とは…
愛と勇気とさんま実行委員会
2011年3月11日14時46分
一あの出来事を、あの瞬間の想いをいつまで覚えているだろうか?
3・11の震災直後から横浜南部市場共栄会が中心となり・支援物資の調達・運搬 ・女川町でのケーキ教室 ・震災シンポジウム・被災地商品の物販を行ってきました。
震災から1年を経過した時に考えました。
被災地に行かなくても…被災者の方々が来なくても…横浜で出来る事があると・・
市場人としての強みを活かしながら、横浜という土地の特色を活かした活動は何かと・・
そして“さんま焼き"という企画が持ち上がりました。
風評被害にあっているさんま、風化してきている震災、そして支援活動をしたくても参加できない方々の想いを“さんま焼き"を通して解決できると確信しました。
産地からさんまを買い取り、さんまを焼きながら震災を語り続けます。
食べる事で…焼く事で、…場所を提供する事で…誰でもが参加できるのが、愛と勇気とさんま実行委員会の“さんま焼き"です。市民の皆様と一体となった活動です。
さんま焼きをして驚いたのは、初めてさんまを食べたという子どもが多いことでした。
昭和の頃は、さんまが当たり前に食卓にありました。今の時代に足りないのは、愛と勇気とさんまなのです。さんまを焼いて、焼いて、焼き続けて、横浜のイベントにはさんま焼きがあり、誰もがさんまを食べられるようにしたいのです。そのさんまを食べて育った子どもたちが将来、さんまを見て横浜を思い出す。
2011年3月11日の震災を思い出す。
なぜ、横浜のイベントにはさんま焼きなのか?と疑問に思ったとき、横浜市民が震災後に出来る事として始めたのがさんま焼きだった・・と語り継がれるくらい、この活動を定着させて、横浜の象徴としたいのです。
横浜でさんまを焼き続けて、世界各地でもさんま焼きが出来るようにする。
さんま焼きで日本の食文化をアピールし、日本の伝統を守っていきたいと思います。
一緒にさんまを焼きましょう!
さんまを食べましょう!
さんまで人々に愛を!!
さんまで行動する勇気を!!
 
9月10日 ロータリー青少年交換プログラムに関わって
久米 彩恵子 様(ROTEX)
 こんにちは。2012-2013年度にロータリー青少年交換プログラムでエクアドルに派遣させていただきました、久米彩恵子です。今日は私がエクアドルに1年間行って見たもの、経験したことについてお話しさせていただきたいと思います。
 私が住んでいた町はマチャラというエクアドルの南西に位置する小さな町です。ここはバナナの名産地で、街の入り口には見渡す限りのバナナのプランテーションが広がっています。エクアドルではバナナを果物として食べるだけでなく、堅いものを揚げてつぶして食べたり、完熟のものを焼いて食べたりします。私がホームステイした家庭ではほぼ毎日と言っていいほど様々な形でバナナが食卓に並んでいました
 私は2つのホストファミリーにお世話になりました。最初のファミリーは父、母、兄、姉、姉の子どもの5人家族でした。私はエクアドルへ行く前、全くスペイン語を話すことができませんでした。また、この家族も英語が話せる人がいなかったため、はじめはコミュニケーションを取るのに一苦労しました。辞書や旅の指さし会話帳という本を使ってなんとか言いたいことを伝えているつもりでしたが、なかなか伝わらず、もどかしい気持ちで過ごす日々が続きました。相手が話していることが分かるようになったのは、現地に到着してから3ヶ月が過ぎた頃でした。しかし、まだ自分の言いたいことをちゃんと伝えられるまでにはなっておらず、6ヶ月目頃のホストチェンジの前あたりにようやく話せるようになりました。なので、この家族とはもっとたくさん話をしたかったなと思います。この家族は歌うこと、踊ることがみんな大好きで、週末になると知り合いを呼んでいつも賑やかな家族でした。
 2つ目のホストファミリーは父、母、姉、弟、妹の5人家族でした。弟、妹が幼いということもあり、彼らとたくさん遊ぶ中でスペイン語をたくさん覚えることができました。次に、エクアドルの抱える社会問題について話したいと思います。まず私が現地に行って驚いたことは、お店に格子がかかっているということです。なにか物を買うとしても直接品物に手を触れることはできません。お店の人に品物をとってもらい、格子の間から手を伸ばして代金を支払います。学校にも日本とは違うことがたくさんありました。私はJUANA DE DIOSという私立の学校に通いました。幼稚園から高校まであり、生徒数は150人ほどの小さい学校でした。教室に電気はついておらず、窓は柵のようになっているだけの簡単なものでした。町にはもっと大きい学校や設備の整った学校もありましたが、この学校は1stホストファミリーの経営している学校だったため、ここに通うことになりました。小さい学校だったため、学校に通うのがやっとの子がクラスにはたくさんいました。私が仲良くしていたミカエラという女の子もそんな子のひとりでした。仲良くなってから、その子の家に遊びに行く機会があり、行った際に私はとても驚きました。その子の家はコンクリートがむき出しになった壁に、トタンの屋根がついていて、電気のない部屋もあったからです。現地でこのような家をたくさん見ましたが、実際に自分が中に入ると衝撃を受けました。また、学校で友達に映画に行こうと誘ってもお金が払えないから行けないと言われたこともありました。友達がこのような環境にいるにもかかわらず、何もできないことに無力さや理不尽さを感じました。
 そんな留学の中で一番良かったと思えることは現地の人の優しさです。“Mi casa es tu casa”これは、私の家はあなたの家という意味のスペイン語ですが、エクアドルに行った際にたくさんのひとにこの言葉をかけてもらいました。エクアドルの人は日本人よりも人と人との距離が近く、知らない人でも友達のように温かく迎えてくれました。そんな人々に囲まれ、私は日本では経験できないようなことをたくさん経験することができました。この留学に関わり、支えていただいたすべての方に感謝したいです。今後は自分が少しでも来日生、派遣生の力になれるようにROTEXとしての活動を精一杯努めたいと考えています。
 
8月6日 ライアーを聴く
原口 理恵 様
私は、音楽大学を卒業後、ピアノ教師を経て、出産を機にシュタイナー教育に出会います。育児をする中で自分の仕事について改めて考え、子どもの教育に携わることを目指してシュタイナーの思想に基づいた音楽教育を学び始めました。
 そして、この教育現場で初めて「キンダーハープ」を手にしたのですが、指で触れるとかすかなかすれたような音がして、どう扱ってよいのかわからず困惑しました。ところが、4歳位の女の子がひざに乗せて手で触ると、何とも言えない柔らかで繊細に響き、私は「これ がこの楽器の音なのだ」ということがわかり、とてもショックでした。それは、自分には決して「作れなかった音」だとわかったからです。
 「キンダーハープ」は子どものための楽器ですが、大人用に「ライアー」という楽器があり、その後、それらを本格的に学びました。
 ライアーはもともと1926年頃、スイスの治療教育の学校で繊細な感覚を持った子どものために生まれた新しい楽器です。特徴としては、指で弦に触れるだけで音が出るシンプルな奏法と静かな音、残響が長いことが挙げられます。
 私たちの生活は、あらゆる機器の音に囲まれ、目で受け取る情報を頭で理解することに追われ、聴く感覚はどんどん失われています。私は、ずっとピアノに慣れ親しんできましたが、ライアーに出会って「聴く力」のない自分を改めて自覚しました。ライアーの一つ一つの音に耳を傾けると、個々の音の持つ質感も、音の連なりの間の静けさの深みが感じられます。「聴く」ためには、自分の心が静かで集中しなければなりませんが、それにより呼吸が深くなり、自分をコントロールする力に繋がることを、これまでに様々な人と、この楽器を通して関わる中で実感してきました。特に、障がいを持つ子どもにとっては、大切な役割を持つ楽器であることを含め、今後より多くの人に、この響きに触れて頂けるよう活動してゆきたいと思います。
 
7月23日 食について 「ご馳走の素晴らしさ」
井上 康紀 様
私のライフワーク、ライフスタイルは「テーブルを囲んで楽しむ、豊かな食卓」です。

1.私にとってのご馳走の原体験は1970年の大阪万博での食体験です
 3ヶ月のレストランの仕事で、世界の食べ物・料理・昧の世界に刺激を受けました。 以来、40年以上ご馳走を求めて、仕事と食を求めてきました。
2. 80年代!こ、ブリア=サバランの「美味礼讃」Iに出会うn
・弁護士で哲学者で教師の美食者、1825年に食文化を学問するガストロミーを提唱 した人です。
. ご馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである。
・誰かを食事に招くとは、その人がいる間中はその幸福を引き受けるということ。
3.私の考えるご馳走とは?
①高価な食べ物はもちろん、日頃あまりお目にかかれない美味しいもの
②初めて出会う、珍しい美味しいもの
③5感を刺激するレアな食材と味、完成度の高いもの
④そこでしか食べられないもの
⑤生産者・作り手の想いを感じる季節の香りと味
⑥馴染んだ好きなもの
⑦皿の上を見た瞬間、一口噛んだ瞬間、呑み込んだ時、様々な記憶が頭に浮かぶ
⑧料理や食材の背景にあるストリーを感じながら楽しむ時代

4.先月ハワイ旅行!こ2冊の本を持って行きました。
①「世界出張料理人」コノ・フミコさん
主婦から、三ツ星のアルベージュの掃除係からスーシェフに上り詰め、マダムやセレブ相手に豪邸や世界を飛び回り、個性豊かな人達と、献立・食材選び・料理法からご馳走まで。
「美味しいおもてなしのシーン」がたくさん紹介されて、食の快楽シーンに引き込まれます。
89pの「マルシェの空気はいつもご馳走で、ある…」心惹かれるシーンがたくさんo
②『英国一家 日本を食べる」マイケル・ブース 食いしん坊のジューナリスト一家4人
日本の食紀行です。外人の視点、で、日本の食を深く掘り下げた100日間。
146pの京都菊乃井の村田さん「若い時は、あらゆる食材に味を付ける。と思っていた。
今は食材が本来持っている味を引き出すのが仕事だとo懐石には二つの要素が必要、
それは季節と心身の栄養だとo食べ物は美味しいことと面白いこと」だと。

5.料理の5感・5昧・5色・5法→日本には美味しい価値の表現方法がいろいろある。
①5感・・目で見て、耳で、香りで、舌で味わい、手に触れて、その他、歯ごたえの食感と喉越し、そして頭で記憶や想い出や昧の違いを判別して楽しみます。
②5昧・・甘辛塩苦酸、各々に細かくあって、そして旨昧
私は50代から、酸味の美味しさ、苦味や爆製の美昧しさが好きになったo
③5色・・様々な色合い、季節の彩りの移ろいは食欲を刺激する。
④5法・・生・焼く・煮る・揚げる・妙め・蒸す・焦がす・爆製など8通り。
⑤季節は4つではなく、旬の区分けはいろいろ他彩

6.最後に、ご馳走の想い出と変化
①おふくろの昧
②初めて食べた料理は鮮明に記憶している
③テーブルを囲んだ人たちとの楽しい食卓
⑨そこでしか食べられない「あそこのあれ」を求めに行く
⑤野菜の持つポテンシャルの高さに目賞める
⑥産地に行って生産者の想いを戴く豊かな時間
⑦一番好きなレストラ「シエパーニース」
⑧自然の恵み、大地の実りを感謝して、考えて戴く、選ぶ楽しさ
⑨食に、素材に、料理に興味のない人もいる事実。
味がわからない人、美味しいものに興味のない人、料理を作らない人たちも大勢いる。
⑩人生の大切な毎日、食は生きること。食の楽しみを大切にしてきで幸せです。

おまけに、良いサービスを受けるには? ヒントをお教えします。
最後に、まだ見ぬご馳走への興味は尽きませんo一生追い求めます。有難うございました。
7月9日 ロータリーデー
森 節子会員
今年度のRIの会長が推奨しているロータリーデーを職業奉仕委員会で企画を検討しています。竹内幹事から報告がありましたように、クラーク記念高等学校のインターアクトの会員が馬車道にあるアンテナショップで行われた「愛と勇気とさんま」プロジェクトに参加してさんまを焼くのを手伝ったり、当日参加できなかった生徒さんたちが関野先生と後日、アンテナショップを訪問して津波の被害やその後の支援について学んで来られました。
何故、南部市場の方達が女川町を支援したかと、女川町はお隣の石巻と違って活気がなく、支援の物資(食糧)がたくさん届いているにも拘わらず、被災者に渡らずキャベツなどの野菜が腐って廃棄されている状況を見て愕然とされたとのことです。
この原因は、避難されている住民の2000人に平等に支援物資が揃わないと配分しないという町の方針にあったためと分かり大川さんはじめ支援に行かれた方達は「平等って何?」と疑問をもったそうです。
しかし、被災者の方達は1日に一食しか食事がとれておらず何とかしたいと思い、「それでは公平に今日はAの避難所と、来週はCとDというように毎週土曜日と日曜日に車を飛ばして駆けつけ応援されたそうです。
そのような経緯があって女川町支援となったそうです。
その後のことは先日お話しましたように横浜市を日本一のさんま消費地にしようと活動を続けています。
できましたらインターアクトの皆さんと、また、ローターアクトの皆さんもお手伝いして下さるとのことで大変心強い支援を頂いて私達も市が尾での青葉区民祭に応募したいと計画しています。
更に計画を委員会で練って参ります。
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