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6月10日 発達障害を持つ子どもたちが、自分らしい人生を生きるように
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篠山 淳子 様(NPO法人あではで神奈川理事長) |
発達障がいとは
発達でこぼこともいい、生まれたときから持っている特性で、治すものではなく、周りと本人の理解により、個性として生きていくことが出来るものと思います。
自閉スペクトラム症(ASD)コミュニケーション、社会性、想像力が独特注意欠陥多動症(ADHD)注意力、多動、衝動性学習症(LD)読み書き、算数など、何か学習に困難なものを持つ。 |
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発会式
神奈川にADHDの子どもの親の会を作りませんかという「えじそんくらぶ」の呼びかけに手をあげてから15年になります。
3人, 4人と待ち合わせて会い、それぞれの想いを話しながら泣きました。 当時は多動症という言葉は聞いていましたが、ADHDのことは、世間の人はもとより、学校の先生も知りませんでした。どんな育て方をしたのかと学校でも家族からも責められました。公演で会うお母さんたちに、「動きが激しくて大変なの」と言うと、《子供ってみんなそんなものよ》と言われる。でもあなたの子は違うでしょう、と心の中で思うのです。話しながら流す涙は、説明しなくてもそのままわかってくれるという、安堵の涙だったように思います。
2001年5月「えじそんくらぶ」の高山さんをお迎えして、発会式をしました。 「えじそんくらぶ」の仲間の会にしていただき、約30人で活動を始めました。
あではで神奈川
どんな名前にしょうかといろいろ話し合っているとき ADHDのことをエーディーエイチディーというのは言いにくし1から、ドイツ語読みで、アーデーハーデーというのはどうかとの提案があり、「あではで」という名に決まりました。子供たちがあでやかに、はでやかに育つようにとの願いを込めて。
ADHDの会から発達障害の会に
ADHDの親の会として始まった会ですが、子どもたちの成長とともに、LD,アスペルガー、広汎性発達障害などと、診断名も変化していきました。
また、成人の本人たちも、自分たちの参加できる会を作りたいと集まってきました。今では、発達障害全般の、子ども、その親、また、成人の本人たちの会になりました。現在3 0 O家族以上の会員がいます。
セルフヘルプの会として
出来た頃は、いろいろな集まりをしました。キャンプ、勉強会、遊びの会、講演会など。
今大事にしているのは、会員同士が会って話し合うことです。
自分自身の人生を語り、医療、療育、教育ではないところで、自分の、あるいは子供の持つ特性を理解し、その特性を持って生きる自分を受け入れ、自分らしい生き方を見つけようとしています。
活動
横浜を中心に、桜木町、横浜、大船、川崎、あざみ野、たまプラーザなどの各地域で談話室をしています。各会は月1回、数人から、20人くらいの会です。親の会、成人の本人の会、誰でも自由に参加できる会、中高生を中心にした会などがあります。
そのほか、ペアレントトレーニンをしています。
また、毎年秋にしている「自分らしく生きる」の講演会では、会員が自分の生きているありのままを語ることを続けています。
私たちの夢
会が出来た頃の夢は、発達障害がみんなに知られ、一つの民族のように市民権を持つことでした。
思いがけない速さで、発達障害についての理解、支援が始まり、最初の夢の実現の兆しが見えてきました。それには、これまでのたくさんの専門家の努力、そして何より親の、特にお母さん方の、忍耐と努力があったことを思います。
今、また、新しい夢があります。児童精神科医の佐々木正美先生からのメッセージ、「発達障害のまま幸せに生きる」という願いです。地域の人々、学校の先生、家族に理解され、やがて自分自身を理解し、生まれたときに備わったものを受け入れ最大限に生かして、自分の生き方を発明し困難を克服していく・・・。これも、私たちの思いを超えた速さで実現できる日が来ることを願っています。
ホームページ http://www.adehade.net
メールアドレスadhd@d04.itscom.net
電話、FAX 045-904-4505 |
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6月3日 四国八十八ケ寺お遍路路を歩く
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井田 雄三(横浜田園RC ) |
第一回目2007 年7月27日スタート 今回は区切り打ちを選択
徳島県第1番「霊山寺」より出発 第17番「井戸寺」まで
「井戸寺」から第37番「岩本寺」まで 更に四万十川河口の中村終点
中村から第38番「金剛福寺」(37~38まで94km)を経て第64番「前神時」より6kmの西条終点
西条出発第65番「三角寺」から最終点(ゴール)第88番「大窪寺」更に第1番「霊山寺」まで60kmを1日で歩きついに結願なる。バンザーイ
歩き終えた感想「2度と来るものか!」とにかく「キツカッタ」です |
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第二回目 あれから約5年70歳を目前にもう一度「ゆっくり」楽しみながら歩きお遍路に再挑戦を!それも「逆打ち」88番スタート→1番を目指す順打ちの3倍厳しいといわれ、又どこかで「お大師様」に出会い援けられると言われています。厳しい理由は次の札所を示してくれる「シール」→が1番からの表示で、逆打ちの場合裏に貼ってあるのでつい見逃してしまうからです。それもあって迷いながらの旅となってしまいます。
2012年3月15日から4月22日計39日の通し旅。季節は初春「梅」「桃」そして「桜」と季節の移ろいを体感しながらの歩きお遍路を満喫し最後に「高野山」奥の院にお参りし 本当の結願となりました。
いろんな人に出会い、親切な「お・も・て・な・し」(お接待)も数多く受け人生最後の長期間・長距離旅行を、楽しんだ日々でした。
(おまけ)体力のある内に一度はお遍路旅を経験される事をお勧めします。 |
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5月20日 米国LA5にメークアップ
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石川 紀久代 会員 |
5月2日、Rotary Club of Los Angeles, LA5に、主人、娘(真理子)、娘婿(ロバート)、友人(ジム)とでメークアップしました。ロバートとジムは弁護士で、今回ビバリーヒルズの弁護士の卓話が予定されていたので、興味があるので参加しました。
お天気が良く、緑の木やジャカランダの花などが美しい街のダウンタウンの一角にある、素晴らしい古い建物の中にクラブがありました。
LA5は1909年に5番目のロータリークラブとして設立された由緒あるクラブで、世界の中でも最も大きく活動的なクラブの一つであるとのことです。
現在の会長Prez Alanさんはとてもフレンドリーで、見るからにお人柄の良い素晴らしい方でした。
とても和やかな楽しいクラブでした。
<プログラム>
・点鐘
・国歌斉唱
・会長挨拶
・卓話(弁護士)
・その月に流行っている曲を流し、リラックスする。
・会長とバナーの交換 (会長が私の席までいら
して、バナー交換をして握手をしました。)
・挨拶(石川紀久代)準備もなく、下手な英語でご挨拶をしました。
・100歳になられたロータリアンのお誕生日会
(皆でハッピーバースデイを歌い、ケーキでお祝いをする)
・点鐘 |
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隣に座って下さった福田様から、私が質問しました奉仕活動についてメールが有りました。
「お会い出来て嬉しかったです。ご質問の奉仕活動についてメール致します。
我々のLA5はとにかくイベントが多いです。奉仕活動も数多く色々と有ります。直近では、大きなものは奨学金を今度大学に入学する高校生に出すのですが、24名に約100万円ずつ渡します。予算は2000数百万円有ります。6月初めに渡すことになっています。私もその担当をしており、面接などしましたがみんなとても優秀な学生ばかりでした。ほとんどの親の年収が200万円以下でした。そのほか来週はホームレスの人たちにサンドイッチを作ってそれを配る予定です。私も参加します。そのほか身体障害者の子供たちとボーリング大会をしたり、色々なことをして遊ぶ1日や、老人ホームを訪ねて、そこの皆さんと話をする等有ります。
そのほか資金集めのための会長主催のパーティでオークションをしたりします。この前例会で買っていただいた5ドルずつの抽選なども半分はチャリティ資金になります。メンバー同士の食事会なども良く有りますが、これも一部はチャリティに回ります。」
それ以外に手足を無くしたような障害を持つ退役軍人にサポートする犬をプレゼントするという活動もされているとのことです。 |
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5月13日 Heart & Earth の活動について
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細谷 美佐緒 様 椎名 偲 様 |
Heart & Earth ~地球の子供たちへの贈り物~
Heat & Earth は、去年の2014年4月に発足いたしました。
代表の磯野共代の強い想いがここにあります。
「子供たちに音楽を届け、子供たちの笑顔がみたい」
「子供たちの可能性を広げたい」
率直で純粋な想いから、「Heat & Earth」は昨年スタートいたしました。
私達は、2つの働きかけを趣旨としています。
1つ目は…
日本でもテレビやラジオから事件、事故の暗いニュースが多く流れている昨今です。現在、日本でも虐待や自然災害により心が傷ついている子供達が多くいます。又、海外でも、テロや戦争の争い事や貧富の差が激しい途上国の子供達が、教育を受ける事も家族と安心して生活することもできず、親の愛を充分に受けられないなどにより、心に傷を持った子供達が沢山います。
私達が望む事は、皆さんと同じく平和な世界です。一人一人が心豊かに愛に満ち幸せでいる事です。そのために、私達は、音、音楽の力で次世代の子供達のハートを豊かにしたいと思っています。
音楽は、とても力があると思っています。肌の色や国境、言葉が違っても、人々の心を一つに繋げる力があると信じています。国境を越え、子供達が音楽で交流をし、仲よくなる事が平和な未来へと繋がっていくと信じています。 |
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2つ目は…
子供達の持っている無限の可能性を広げ、自立に繋がるような働きがけをしたいとも思っています。遊びを通して触れ合い、各分野の専門家と交流する場を設け、「自分の得意な事、好きな事」に子供自身が自分で気づくための働きかけをしたいと思っています。
Heart & Earthの想いは、ここにある絵、写真が全てを語っています。
平和で黄金に輝く未来の地球に新たな新芽が出ています。
それを次世代の子供達の小さな手が包んでいます。
この小さな手によって地球が育まれていきます。
私達が出来る事は、その小さな手を愛と想いと音楽でサポートすることです。
今までの活動を簡単に報告させて頂きます。
資料参照
【今後の活動予定】
先月4月に、川崎市へNPO法人「Heart & Earth」設て、8月中ごろ認証予定です。
① 音楽交流
・生の音楽に触れる機会の少ない日本や世界各地の
子ども達や人々に音楽を届ける。
・今までに交流した途上国の子どもたちを日本に招待し
日本の子ども達と音楽の交流を図る。
音楽オリンピック(仮タイトル)を開催し、音楽で子どの心を一つに繋げる。
音楽オリンピックとありますが、どんな事をするのか?いいますと、
鍵盤ハーモニカ、笛、色々な楽器を使って、又、其々の国を代表する楽器や踊りを入れたりして、世界中の子供達と「一つの曲を演奏し、心を一つにする」達成感や、繋がる喜び、感動を体験することによって、一人一人の心に刻んでもらいたい。
②自立支援
子ども達と遊びを通して交流を図る。各分野の専門家と
交流をし子ども達の可能性を広げ自立できる働きかけ
をする。
オリンピック終了後、色々なブースを設けて、例えば、パン教室、お花の教室、日本語を教えたり,日本の文化的な折り紙やけん玉等を子供達に体験してもらう事により、何か子供達に自らの可能性を広げる欠片を掴んでもらえる機会を設けたいと思っています。
これから、一歩一歩この私達の「想い」を繋げるために、皆様のご理解とご支援を頂きながら、活動していきたいと思っています。
これからもご協力よろしくよろしくお願いいたします。
【詩】
【私と小鳥と鈴と】
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
【こだまでしょうか】
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、だれでも。
【星とたんぽぽ】
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれた たんぽぽの、
瓦のすきに、だァまつて、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
金子みすゞ 作
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4月22日 拡大増強について
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石井 富雄 様(横浜戸塚中央RC) 地区拡大増強委員長 |
プロフィール
昭和22年8月26日(生)
ロータリー歴
1975年 横浜本郷RC入会(創立時)
1992-93 横浜本郷RC会長
1992-2000 地区副幹事(横浜戸塚中央RC創立により移籍
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2001-02 地区米山学友委員
2002-03 地区米山学友委員長
2003-04 地区米山奨学会委員長
2004-06 地区米山奨学会委員長
2006-07 第8グループガパナー補佐
2009-10 横浜戸塚中央RC会長
2010-11 地区国際奉仕委員会副委員長
2011-12 地区米山学友委員長
2012-13 地区拡大・増強副委員長
2013-14 地区拡大・増強副委員長
2014-15 地区拡大・増強委員長
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3月25日 ローターアクトについて
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佐藤 佳一 様(新横浜RC) |
ローターアクトで得たこと
大学生になるときにまず悩む事。第二外国語。サークル。履修登録。特にサークルは4年間の付き合いになるのでとても重要な選択になると思います。数ある活動の中で、私がローターアクトを選んだのは「幅広さ」がとても魅力的であったからです。 ローターアクトは18〜30歳の組織なので、普通の大学生活を送っていたら交流する機会が少ない、社会人の方々と一緒に活動することができます。1つのプロジェクトを進めるにしても、実際に社会で働いている先輩方のレベルの高いメソッドを学ぶ事が出来ます。また、人生経験が豊富な先輩方に恋愛相談なんかもできます(笑) もちろん、同世代もたくさんいます。私はよく94年会という名の同期会も開いて遊んでいます。
さらに、ローターアクトの先輩のみならず、みなさんご存知のロータリアンの方がいます。アクトの先輩方以上に経験豊富なロータリアンさんから、アドバイスを頂けることは、他の組織ではなかなかないことではないでしょうか。アルバイトなどで一通りの敬語を学ぶことはできますが、話す敬語と書く敬語は少し違います。社会人になる前に一通り勉強ができることもアクトの魅力の一つだと私は考えています。 |
佐藤 佳一 様
岩 篤志 さん
新横浜RAC会員
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インターアクトもですが、ローターアクトも日本全国、全世界にあります。地区の行事から、全国研修、アジアの研修…と自分が求めれば求めるほど世界中の人とつながることができます。私は国際交流にも興味があるので、アクト同士で英語の勉強をしながら、青少年交換の留学生とコミュニケーションをとったり、モロッコのローターアクトの女の子とメールをしたりしています。
私は人と出会うことの楽しさをローターアクトで知りました。初対面の人や年上の人とご飯を食べる、ということが普通にできるようになりました。(笑)きっとこれは私の人生で財産になることじゃないかなと私は思っています。
ローターアクトで入る事でとても刺激的な日々を過ごせること間違いなしです。突然「入会」とまでは言わないので、一度遊びにきてみてください(^^)
<ローターアクトの魅力>
・ 同世代のみならず幅広い世代の人と交流できる!
・ 高いレベルの社会勉強を学生のうちにできる!
・ 世界の人と交流することができる!(求めれば求めるほど活動の幅が広げられる)
・ 刺激的な日々をおくれる!
・ (特に新横浜は多趣味な先輩が多いので、私生活の面でも色々なことを教えていただけてとっても楽しい。)
(新横浜ローターアクトクラブ水野梨紗さん文責)
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3月11日 地域コミュニティーについて
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大野 承 |
横浜市青葉区美しが丘に1970年(昭和45年)転入。2005年に退職後すぐ自治会長に選ばれ、これを契機に自治会、横浜市の委嘱団体、老人会、学童保育、社協など多くの活動に係わってきました。退職後は趣味の世界に生きるつもりであったが、意に反していわゆるボランティア人生に入ったのは、自治会長というきっかがあったことと同時に、1970年当時の地域の先輩たちの献身的な地域活動を隣人として見てきたせいでもあります。 |
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この間の活動を通して、この地域に必要なものは「隣組的近所付き合い」と「地域住民の居場所」と「最後の精神的よりどころとしてのぽっくり寺やぴんころ地蔵的なもの」ではないかと強く思うようになってきました。「隣組」については自治会の「いっとき避難訓練」など通して実現しつつあります。そして昨年開店した3丁目カフェが「地域住民の居場所」のひとつの実現となります。
開店した3丁目カフェは実は美しが丘1丁目の商業店舗を賃借しており、運営主体も株式会社となっており、公的補助や助成をうけボランティアが運営するいわゆり「コミュニティーカフェ」とは大きく違っています。実は最初の3丁目カフェの構想はこの「コミュニティーカフェ」に近いものでした。美しが丘3丁目の住宅街にある横浜市の土地を廉価で借用し、資金助成を受けてデッキやプレハブを設置して、無償に近いボランティアの運営で、半径1㎞以内の住民を対象にした拠り所とし、提供するものは簡単な喫茶軽食を計画していました。しかし実現化には大変な努力と長い時間が必要なことがわかりました。
その具体的な制約は、第一種低層住宅専用地域や独自の地区計画により店舗をつくることが大変困難なこと。さらには横浜市の土地であることによる、恒常的な建物が建てられない、金銭のやり取りをともなう商売ができないという制約です。しかしこれをクリアする方法もあります。それは長年の試験的実証活動と、地位住民の総意による例外適用申請です。ただし実現するためには5年から十数年かかります。
そんななか、東急電鉄と横浜市の「次世代郊外まちづくり」活動が始まったこともきかっけで、より手軽に始めれらる商業地域での店舗を賃借することで3丁目カフェをスタートさせました。3年後の目標値としては、1日120名の来客、年間の催事700件、契約利用団体100などです。店での催事としては、ミュージック系のライブやカルチャースクールから少人数でのワークショップなどが中心です。しかし何よりも優先するのは、商業店舗としての経営安定です。開店から半年、ようやく目標値の50%まで漕ぎつけましたが一層の利用客の増加を目指して、地域住民へのアメニティー提供を行ってまいります。
そしていつかは、最初の3丁目カフェ構想に近い第二第三の3丁目カフェ展開を、そして最後には「ぴんころ地蔵」の建立を目標に地域活動を続けてまいります。
プロフィール:東京生まれの団塊世代。57歳で退職後10年間の地域活動を経て、昨年コミュニティースペース3丁目カフェを開店。 |
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2月4日 世界の医療団 東京プロジェクトのご紹介
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中村 あずさ 様 東京プロジェクト コーディネーター |
東京プロジェクトはホームレス状態の方、ホームレス状態のなかでも特に「障がい」をかかえた人たちが、適切な支援を受けながら環境を整
えることで心身共に回復し、人とのつながりのなかで安定し安
心の地域生活を実現することを支えることを使命として2010年に活動をはじめました。
すべての人に、衣食住が十分な生活をして、社会参加し、医療を受ける権利がある ということ
どんな人にも回復する力があるという信念と、すべての人が社会にとってかけがえのない大切な存在であるという考えのもとプロジェクトを行っています。
今まで支援困難者と呼ばれ福祉的な枠組みからも排除され、幼いころからずっと居場所がなくホームレス状態へと至った方たちが、心身や生活を回復し、他の仲間のために、また地域のために力となり私たちと一緒に活動を行っています。
地道な活動ではありますが、本日のことをきっかけにますますご理解を深めお力添え、ご指導いただけましたら幸いです。 |
中村 あずさ 様
安部 さやか 様 |
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プロジェクトアウトライン
プロジェクトは 自団体を含め4団体以下多岐にわたる活動を行っています。
炊き出し、アウトリーチ(夜回り)
シェルター提供
医療・福祉の相談会
パン屋運営
リハビリテーションプログラム
各種医療福祉手続きのサポート
地元大学やNGOの受託事業
メディアや講演会において発信
小・中・高校や大学、専門大学での授業など
政策提言活動
等
課題
支援活動を行っていると、たくさんの人たちが支援を受け、生活環境をととのえることでみるみると変わり、その変化にやりがいや活動の大切さを感じさせられるのですが、一般的には「ホームレス」や「障がい者」など社会的に「周縁化」され、弱い立場にある人たちの実態は、なかなか見えにくく理解も得にくい活動ではあります。
「ホームレス」というと従来は失業したり身体を壊して働くことが難しくなった50代後半~60代を中心とする男性でしたが、現在は若年化がすすみ、10代で「ホームレス」となった方に出逢うことも少なくありません。また家庭内暴力から逃げてきている女性や障がいのある女性も増えています。
今までの最低限の生活を保障する支援 (それすらも一般的にはままならないのですが)では不十分で、幼いころから決して心を許せる人がいなかった、という方や安心して生活をし、将来のことを考えて生活を組み立てていく経験をしてきた来なかったひとたちには、こころのケアやこれからを生きていくための力をつけていってもらう必要があります。一方で、彼ら彼女らの多くには「人の役に立ちたい」という思いが強いことが多く、現にちょっとしたボランティア活動や地域活動に参加する当事者も少なくありません。
ただ、尽きせぬ「ホームレス」の人たち、こころに深く傷を負った人たちへの手当には膨大な人的パワーや時間が必要で、東京プロジェクトの現場でも少ないボランティアメンバーやスタッフを中心に毎日身体をすりへらしながら試行錯誤しているところです。
さまざまな工夫や取り組みのしがいのある分野ではありますが、常に変化しつづける現場に圧倒的に人手やアイディア、経験が不足しています。
多くの方の温かいご協力を得られればと思っております。
プロフィール:
中村あずさ(なかむら・あずさ)
世界の医療団 東京プロジェクトコーディネーター ・社会福祉士
2000年より炊き出しや夜回り、相談援助などホームレス支援活動のボランティアの活動に参加する。
03年森川らと豊島区内でホームレス状態にある方たちを支援する組織TENOHASIを設立。
2009年より、世界の医療団入職。現在同団体東京プロジェクトコーディネーターとして連携する
4団体とホームレス状態にある中で特に支援がむずかしいと言われる障がいなどの生きづらさを
抱えた方たちの生活支援の運営を行う
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2月18日 インターアクトクラブ 活動報告
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クラーク国際高等学校 青葉キャンパス IAC会員 |
1年 篠田 加菜枝 さん
私達は1年間こんな活動をしました。
私達は22名で活動し、主に東日本大震災復興支援活動・クラーク記念ヒマラヤ小学校の支援を行っています。
今年は5つの班に分かれ活動しています!
ヒマラヤ班では、私たちの高校の支援校であるクラーク記念ヒマラヤ小学校の支援を中心に活動しています。主な活動は、ヒマラヤ小学校の空手授業支援と女性自立支援活動です。これまでに行った募金の合計金額はおよそ60万円になりました。
ネットショップ班では、この女性自立支援活動の女子職業訓練にて作成されたグッツを販売しています。売り上げをまた職業訓練費として送る、循環型を目指しています。
今手元にある品は完売することができました。次の2月の職業訓練でグッズを2月以降に販売していく予定です。
新規班では7月18日、サダナ・タパさんが「女子教育がネパールの未来を作る力になる」というお話しとディスカッションを行い、企画・進行を新規班が担当しました。 |
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愛と勇気とさんま班では、宮城県女川町のサンマ1000匹無料配布するお手伝い・横浜南部市場 大川たかしさんの講演・3.11忘れない愛と勇気とさんまプロジェクトで三陸ワカメとエビを使ったパウンドケーキを販売しました。
仙台班では、リルーツというボランティア団体に物置を提供する事や、「震災を風合させない為のイベントを開催しました。
現在仙台班を中心にチャレンジカップという大会に参加しています。
私たちの活動を拡散することや、一緒に活動してくれるサポーターを集めています。私たちの活動で、誰か小さいボランティアを始める第一歩になれればと思っています。
その他にも 今年の活動が評価され、第18回ボランティアスピリットアワードで、3.11忘れない愛と勇気とさんまが ブロック賞を受賞し、
クラーク記念ヒマラヤ小学校支援班が コミュニティ賞を受賞しました。
今年度も、感謝の気持ちを忘れずに活動していきます!
世界中の人と繋がる
1年 榮村 星莉菜さん
今回3日間の海外研修に参加して新しいことに関わるきっかけ、多くの人との繋がりを増やすことができました。多くの人と関わったなかで特に、私が感じたことは、国を超えて世界の人と繋がることができるということです。なぜこのようなことを感じたかというと、私は、台湾に行くまで、現地の人と会話することを心配していました。言語の違いから相手とコミュニケーションを上手くとれないのではないかと思っていたからです。海外研修に向けて語学の勉強に取り組みましたが、その短期間できちんと話すことができるようにはなれず、現地の交流が楽しみな気持ちがある反面、とても不安でした。しかし、台湾のインターアクターの方はそんな不安な気持ちをサポートしてくれるように身振りや手振りで内容を伝えてくれたり、ゆっくりと話してくれたり工夫して私たちに声をかけてくれました。私はそんな台湾のインターアクターの方に感謝と嬉しさで気持ちがいっぱいになりました。会話が進むと私も相手に応えたい、なんとか自分の気持ちを伝えたいと思い、簡単な英単語を並べ、つたない英語ではありましたが、積極的にコミュニケーションをとりました。すると、不思議なことに自分が伝えたいことが相手に伝わるのです。私は英語を話すことが苦手で単語も沢山間違えていることもあったのですが、私の身振りや手振り、表情から伝えたいことを理解してくれ通じ合うことができたのです。この時私は、互いに話す言葉が異なるものだったとしても相手に伝えたい、という思いさえあれば、気持ちが通じあうことができるということに気が付きました。
これは、今回の海外研修で一番感じた世界中のどの国の人とも繋がるということになると思います。海外研修に行く前の私は海外に興味はありましたが、世界の国の人と繋がることはとても難しいことだと考えていました。その理由は、やはり言葉の違いでした。しかし、今回の海外研修にて言葉だけを使って会話をすることが、全てではないということを学びました。大切なのは表情や、共有する感情だと思います。普段自分の国だけに閉じこもっていると言葉でコミュニケーションをとることが当たり前で、表情や感情を共有して会話していたことを忘れてしまっています。表情や感情が世界共通であり、一番のコミュニケーションツールであると今回の海外研修で改めて感じました。これらの考えから海外研修に参加して気が付いたこと、学んだことを今後も活かすことができたら、海外での友達を増やすことができ、さらに国際交流、国際理解を深められると思います。国際理解を深めるということは、相手の国の良さを知ることですが、同時に日本の良さを知る事にもなるのです。私は自分自身が改めて日本の良さを知るということは国際的に活動するときに相手に日本の良さをより知ってもらえることになると思いました。今回そのきっかけとなることを学ぶことができました。
また、今回海外研修で沢山の台湾のインターアクターと親交を深めることができました。
たくさん笑って沢山話をして充実した日を過ごすことができ、台湾で会う最後の日は別れるのがとても寂しかったです。ここまで親交を深め、充実した日を過ごせたのは、台湾のインターアクター方が私たち日本のインターアクターをとても温かく迎えてくれ歓迎してくれたからだと思います。よって、次に会うときは、私達日本のインターアクターが台湾のインターアクターの方を迎えてあげたいそう思います。そのためにも現地での関わりだけで交流をとどめず、連絡を取り合い今後も親交を深めることができる関係を築いていきたいです。そして、私はまた台湾のインターアクターと会うときのために語学の勉強、国と国を結ぶことができるボランティア活動に力をいれていきたいと思います。
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2月4日 世界を揺るがすテロ集団「イスラム国」の恐怖―日本人も標的、迫られる安全対策
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佐々木 伸 様(東京西RC) |
Ⅰ、イスラム国の出現
▽世界を驚がくさせた電撃作戦
▽なぜ残虐になれるのか
▽スンニ派の不満を吸収
Ⅱ、目的は何か
▽サイクス・ピコ協定の取り消し
▽指導者バグダディの素顔
▽キャンプ・ブッカの役割 |
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Ⅲ、組織の実態
▽アラブの春とシリア内戦への介入
▽資金源は油田、身代金
▽ハイブリッド組織――武装ハイテク集団
▽構成員の半分は外国人
▽アメとムチ
Ⅳ、日本が標的のトップに
▽テロ拡散の脅威
▽巻き返しに出るアルカイダ
▽標的のトップになった日本人
▽アジアにもリスク広がる
Ⅴ、終わりなきテロとの戦い
▽空爆では壊滅できず
▽2つの戦線
▽負の遺産を次期大統領に
(プロフィール)
早稲田大学商学部卒 共同通信社入社
ベイルート支局長 カイロ支局長 等歴任
同社顧問、共同通信社客員論説委員
星槎大学客員教授(現代中東政治)
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1月14日 三か国での生活で得たもの
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トゥルスベコフ・カリムジャン さん(米山奨学生) |
こんにちは、トゥルスペコフ・カリムジャンと申します。本日、このような場でお話する機会をもうけていただきありがとうございます。私自身、大変貴重で光栄だと感じています。
本日、自分の自身の事と母国であるカザフスタンについて話したいと思います。カザフスタンは人口1600万人と少ないですが、世界で9番目の大きさを誇り、元ソ連に値し中東にあります。元ソ連の影響もありロシア語を話せる人が90%以上です。
私もロシア語とカザフスタン語を話せます。多くの皆さんはロシア語とカザフスタン語は同じ言語だと思いがちですけれども、まったく違います。 |
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例えば、カザフスタン語で「こんにちは」はサレメッスィズ ベロシア語はズドらーストヴィチェと言います。しかし、今のカザフスタンではソ連の影響もありましてロシア語をメインで話すごとが多いです。カザフスタンの首都はアスタナです。しかし、一番大きい都市はアルマティです。この2つの都市が有名です。通貨はテンゲと言います。1テンゲ=0.58円ぐらいとなっています。
私は日本に来て、カザフスタンという国はやはり知名度があんまり低く、いいイメージをもたれてません。中東なので戦争とか砂漠が多いとか色々言われることがあります。しかし、そんな事ありません。現在はカザフスタンは大変向上発達しています。石油、天然ガスなどエネルギー源に恵まれてるいる資源大国です。それのお陰で、日本と関係も密接であります。
2011年に冬のオリンピック開催されました。日本からも多くの選手が来ましたて、その時に調度私もカザフスタンにいました。試合あんまり見ることできませんでしたけど。私のお兄さんが日本人の通訳をしてました。私、寒いの苦手なのでずっと家にいました。
カザフスタンでは寒くなるとマイナス10~20とかになることもあります。
宗教は70%がイスラム教、キリスト26.2%となっています。イスラム教といえば、豚肉、お酒、禁じられてるというイメージですけど。カザフスタンではそれを守る人達が減少しております。自分も豚肉もお酒も大好きです。
皆さん一度聞いた事あると思いますけど、イスラム教ではラマダンというのがあります。ラマダンというのは、明るい時間の飲食を禁じている期間のことです。アラブといった多くの国ではこの時期、昼間はレストランなど外食業がすべて閉まってしまいます。しかし、カザフスタンでは閉まっていません。カザフ人は一部の人しか断食しません。私も小さい頃1回ラマダンやったことありますけれども、すごく大変でしたし断念しました。
日本とカザフスタンの食文化も全く違います。カザフスタンの主食はパンで、魚などほとんど食べることがありません。私も、日本に来て始めて刺身といった生魚や馬刺しを食べました。つい最近まですごく嫌いでしたけど。居酒屋のアルバイトでのきっかけで好きなりました。その代わりにカザフ人は肉をたくさん食べます。カザフスタンでは「オオカミの次にたくさんの肉を食べるのはカザフスタン人」ということわざもあるくらいです。特に馬肉料理が有名です。「カズ」と呼ばれている。保存肉のことです。馬肉に塩、こしょう,にんにくをまぶし、腸に詰めて2~3時間弱火で茹でる
2ヶ国語を多用しているカザフスタンでは学校もロシア語とカザフスタン語の2つに分けられています。因みに、私はロシア語の学校に通っていましたが、私のお兄さんはカザフスタン語の学校に通っていました。
カザフスタンは日本と教育文化が違います、まず第一に挙げられる例は学年の始まる日が日本は4月ですけれども、カザフスタンは9月1日です。日本は3学期制ですけどカザフは4学規制で夏休みは6月~8月の3ヶ月です。学校教育は日本と同じく小、中、高と同じですけれども、計11年間と日本より1年少ないです。高校は2年生に卒業し、後の1年間は軍隊に行かなくてはなりません。私は高校海外で卒業したので軍隊には行っておりません。
私はカザフスタンに10歳まで住んでました。10歳の時に親の影響で日本に来日しました。その時初めて異文化を体験しました。全く知らなかった日本。とても不思議な文化やまったくカザフスタンと違う食事。言語もわからなかったので最初は戸惑いを感じました。例えば、丁寧な礼儀や上下関係がちゃんとしてたり、建物内での土足は駄目だったり、お風呂の使い方などが不思議に感じました。食で言えば生魚や納豆といった不思議な食べ物があって違和感を感じました。でも、僕も1、2年経つと不思議にその文化に馴染んできましたし、それが日常になって、今では日本の文化を好きになりました。こういった所が自分の心得の変化だと思いました。
中学校を卒業した後、日本の高校に入学して充実した日々を送ってましたが、新たな挑戦、経験をしようと思い高校生から短期大学までアメリカに留学しました。しかし、僕が描いてたアメリカの生活は全然違いました。すぐにアメリカの高校に入りましたが英語も全然しゃべれず、上手くコミュニケーションが取れなかったです。アメリカ人は日本と違ってノリは良く、学校では話しかけてくれますけど、その後の長い付き合いをしてくれる人が少なかったです。だが、アメリカの留学をきっかけに多国籍の友達がいっぱいでき、その人達と一緒に英語を学び、だんだんアメリカンライフに慣れてきました。カザフスタン、日本、アメリカとそれぞれ長く住んでいましたが、私にとってやはり「日本」が一番居心地良く感じました。設備も勉強する環境も整ってる日本で勉強し、就職したいと考えました。
卒業までにもっと知識や経験を積んで、自分の国際観光会社を作りたいと思っています。現在は、「観光」を学ぶために横浜商科大学に通っています。私から見てカザフスタンという国は世間にはまったく知られていないと思いました。そのため、観光という分野を勉強し、将来はカザフスタンという国を世界中のみんなに知ってもらうために何か貢献できたらいいなと思っています。そのために、今以上の国際交流をし、日本の有名観光地を自分の目で見たいです。ロータリークラブでも、積極的に皆さんと話して、いろんな事を経験し、学べたらいいと思っています。皆様よろしくお願いします。ご清聴有難うございました。 |
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