「図書室」

  どこの高校にも、図書室の「主」と呼ばれる奴が一人くらいいる。
 うちの学校の場合、岩戸正をおいて他にはいない。

彼は放課後になるといち早く図書室にやってくる。周りには目もくれず、のしのしと部屋を横切っていつもの特等席――左隅の一番静かな席――に、重そうな鞄をドサリと置き、次いでいそいそと本棚に向かい、その日の獲物を探す。熱心な吟味の後、何冊かを手に取り、ゆさゆさと巨体を揺らしながら、満面の笑みを浮かべて小走りに特等席に戻っていく。その様子は、ケーキバイキングでトレイに山盛りケーキを載せて興奮している中年のオバサンに似ていなくもない。

 読書中の彼はまさに主という称号に相応しい。一心不乱に本を読み、時に笑い声を漏らし、涙ぐんで鼻を啜り、ぶつぶつと小声で批評をする姿は鬼気迫るものがあり、誰も近づけない。というか単に皆薄気味悪くて近寄らないだけなのだが。
 閉館のベルが鳴ると、彼は残念そうに本を閉じ、棚に戻した後、とぼとぼと一人で帰る。その間、ほとんど誰とも口をきかない。当然のことながら、彼には親しい友人がいない。
 ちなみに彼は本を借りない。何故かと訊くと、「学校を出てからは家にある本を読むんだ。」という。成程。
何故僕がこんなに彼について詳しいのかというと、一学期中図書委員をやらされたため、週に一度の当番の日には必ずこれを目にしていたからだ。でなきゃ図書館なんて辛気くさいところ、近寄りたくもない。
 
 とはいえ3年生も二学期を迎え、そろそろ皆受験勉強に本腰を入れ始めた。
 それに伴って、図書室を自習室として利用する奴が増えてきた。そしてついにはこの僕までが図書室に舞い戻って勉強せざるを得なくなってしまった。
 岩戸は相変わらず本を読んでいた。あいつも3年なのだから、本ばかり読んでないで少しは勉強でもすればいいと思うのだが、まああれだけ本を読んでいれば受験に役に立つ知識も仕入れられるのだろう。
 しかし、よく見ると彼にも変化はあった。彼はいつもの特等席に座っていなかった。そこでは別のカップルらしい男女が仲良く勉強していて、岩戸はもっと入り口近く、カウンターの傍の席に追いやられていた。利用者が増えてきて、流石の岩戸も特等席をキープできなくなったのだろう。
 変化はもう一つあった。彼が本を借りるようになったのだ。僕は物好きにも、カウンターで貸出手続をとっている岩戸に声をかけた。
「珍しいじゃん、お前が本借りるなんてさ。」
すると岩戸はまるで万引の現場でも押さえられたかのように大げさに慌てふためいた。
「な……、何だよ、ぼ、ぼ、僕だってほ、本くらい借りたってい、いいじゃないか!」
その不自然なまでのリアクションに、こっちが驚いてしまった。
「いや……ただお前、前に本は借りないって言ってたから、どうしたのかなって……。」 
 何だこの慌て方は、こいつ、ひょっとしたら発禁本でも借りようとしたのか、そう思ってちらっとタイトルを見たが、何ということのない無難な本ばかりだった。

 自分でも暇な奴だと思うが、その時の岩戸の態度が何となく気になってしまい、以来図書室に行く度に彼を観察するようになってしまった。岩戸の方も僕に気づいているらしく、居心地悪そうにしていた。
 見ていて分かったことは、岩戸が本を借りるのは決まって水曜日だということだ。本のジャンルは問わないようだ。また、一旦特等席を明け渡した後は、席はどこでもいいらしい。カウンター近くが多いが、真ん中、隅とランダムに座っている。
 しかし、あのときの不自然な態度を説明する手がかりは何もない。あれは単に人慣れしてない岩戸の自然な反応だったのか、そんなことを思ってカウンターを見やると、ポスターの注意書きが目に止まった。

「貸し出しは一人5冊まで」

 そういえば岩戸はいつも必ず4冊借りていた。僕は元図書委員のくせにそれが最大貸出数だと勘違いしていたが、彼はあえて毎回4冊しか借りていなかったのだ。しかも毎回。 僕はふとある事を思いついた。
「ねえ、最近の貸出リスト見せてくれない?」
 僕は友達の図書委員に声をかけた。図書委員会では、毎日、その日に貸し出された本と、借りた生徒の名前をいちいち帳簿に付けているのだ。僕は岩戸がここ数ヶ月に借りた本のタイトルを調べた。

 いつものとおり岩戸は閉館時間に一人で図書室を出ていった。僕はその後をつけて、人気のなくなったところで声をかけた。
「岩戸さあ、あんな方法じゃ一生かかっても伝わらないと思うぜ。」
 それを聞いて彼はびくっとして立ち止まった。案の定、振り向いた顔は真っ赤になっており、脂汗まで浮かんでいた。
「やだなあ……ぼ、ぼくが誰にな、何をつた、伝えようとし、してるっていうんだい。」
「お前がここ最近借りた本のタイトルだよ。今週が『ストーカー撃退法』、『奇跡とトリック』、『デス・ゲーム』、『砂の女』。先週が『寸劇夜話』、『恐怖のウィルス』、『デジタル・アートの世界』、『彗星の魅力』。先々週が『水滸伝』『詭弁論理学』『デリバティブ』『スキピオの夢』……頭文字を拾うと「す・き・で・す」。お前が借りだしてからのタイトルは全部調べたけど、どれも同じだった。お前は必ず水曜日にしか借りなかった、図書委員の水曜当番は山口だ。お前、本のタイトルにメッセージを託して、山口に自分の気持ちを伝えようとしてたんだろ。」
 山口は、地味だけど清楚で可憐な感じの女だった。岩戸が特等席を明け渡したのも、奪われたからではなく、山口の近くにいたいがため、自分から移動したに違いない。いじらしいというか、まどろっこしいというか。
 岩戸は耳まで赤くなった。
「そっっ……そんな、山口さんは、ただ僕に話しかけてくれて、沢山本を読むんですねって笑いかけてくれて、それだけで、すっ、好きだなんてそんな、ただちょっと可愛いなっておも、思っただけで、別につ、つき合いたいとかそ、そういうんじゃなくて、もっとはな、話がしたいなって、だ、だから親しくなれたらなってそれだけで……。」
 汗を拭き拭き必死の形相で弁解する彼を見て、こいつが本以外から学ばなければいけないことはまだまだいっぱいあるな、と僕は思った。



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photo*by white garden