津和野    

山陰の小京都といわれる津和野町は、島根県の西南に位置して山口県と境を接しています。
鎌倉時代末期この地に城が築かれるまでは、一面に「つわぶき」が生い茂っていたことからその名が付いた津和野は
掘割りに泳ぐ色とりどりの鯉、白壁の続く武家屋敷などの独特の町並みで、楽しませてくれました。  
古い武家屋敷やしっくいの土塀が、風情あるたたずまいを見せるあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷があったところです。
この殿町には、かつての藩校養老館があります。  藩の教育に力を入れていた亀井家が開いたこの藩校では、
有名な西周や森鴎外も学びました。 
現在は一部当時のまま残り、一角は民俗資料館となって、津和野の歴史を伝えています。

将軍を始めとする江戸の武家ライフは華やかさがあったでしょうが、地方の大名の城下町での武家達は 
このように、スッキリと質素な生活をしていたのだと想像できます。 
森鴎外の旧居跡に行ってみましたが、町の中心よりはずれ、思ったより遠くて、帰り道はフーフー言って走りました。

 

 
しっとりとした殿町の通 り   通りのわきを流れる堀割では、数千匹の
コイが悠々と泳いでいます。
コイの飼育は非常時の食料用にと藩政時代から
始まりましたが、今や食べられる心配のない
コイたちは丸々と太り、鑑賞用としてすっかり
定着しています。 
  なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など
津和野のシンボル的スポットです
 

 

瓦葺きで、間口4m、長さ26mの、
左右に番所、工塀をめぐらした
堂々たる構えの武家屋敷門が
今も残っています
  木造平屋建て、瓦葺きの簡素な造りで、
軍医であり、小説「舞姫」など作家としても
知られている文豪・森鴎外が、幼少時代を
過ごした家です。4畳半の彼の勉強部屋や、
藩医の家らしく調剤室も残っています。
  津和野カトリック教会
ゴシック様式の石造建築です。
幕府のキリシタン信徒迫害は
ここ津和野まで及び、乙女峠の
マリア聖堂では、殉教者の霊を
祀っている

 


  安芸の宮島・厳島神社  

厳島神社

厳島神社は、1168年に平清盛の造営によって、現在みられるような、壮麗な社殿群の基本が形成されました。
この社殿群の構成は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れた建築景観をなしています。
また海中を敷地とした、海の上の神社というこの構想は、平清盛の発想によるもので、現世に竜宮城を
再現しようとしたかのようです。 

1146年、安芸守に就任した清盛は、高野山でお告げを聞いたため宮島に着目し、信仰の面でも
宮島を深く信仰したことで知られています。
平清盛の時代には、平家一族の拝するところとなり、当時の平安文化が積極的に取り入れられ 
平家滅亡後も厚遇され、栄えました。 

連絡船「厳島」で、さあ宮島へ 遠くに、あの朱の鳥居が
見えてきました。
本社本殿は国宝で、平安時代の
寝殿造りの様式です。
この朱丹の大鳥居は 四脚造りで、
楠の自然木を使った典型的な
ものです。 総高約16mで、自然の
重みで立っています

海の上の壮麗な朱色の神社、厳島神社を一度見たくて、期待に胸ふくらませ連絡船に乗り込みました。 
でも・・・近づくにつれ分かってきた事実は、引き潮! 
厳島神社の潮の満ち干きは6時間ごとらしいので、次回は宮島で宿泊して、満潮の神社を楽しまなくては・・・ 

 

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