モスクワ Moscow  

サンクトペテルブルグから夜行列車で、モスクワに移動しました。 
やはり車掌さんは、とっても無愛想でしたが、2等車のコンパートメントの中は古いながらまあまあでした。
でも、おトイレはすごかったです・・・
サンクトペテルブルグはヨーロッパの雰囲気がありましたが、モスクワは何と言っても”ソ連”を感じさせます。

     
サンクトペテルブルグのモスクワ駅
この写真を撮った直後、どこから
ともなく警官が現れ
、撮影禁止と
注意されました。 ビックリしました
  緑色系の塗装をほどこされている
列車
古いです
  コンパートメントの中
車内食のお弁当を用意
してくれている 
  これぞロシアの大地!  
ロシア文学によく出てくる光景を
見る事ができ、飽かず眺めて
いました。白夜に近く、これで夜
12時近くです。明るいでしょ


     
モスクワ市の南西部にあって
市内のパノラマが見渡せる展望台
ヴァラビョーヴィ丘
眼下にはモスクワ川が流れている
  外務省の建物
モスクワ市内には、このような
高い塔や、巨大な建物が
いくつかあります。 
  ホワイトハスス 
ソ連時代にはロシア社会主義
連邦の閣僚会議が置かれていた
現在はロシア連邦議会が使用。
  ボリショイ劇場
ボリショイとは大きいと
いう意味です 

ピョートル大帝がサンクトペテルブルグに遷都するまでと、1971年のロシア革命以後、モスクワはロシアの中心であり
首都です。

市内をバスで一巡した後は、有名な「赤の広場」と「クレムリン」に行きました。 
モスクワはサンクトペテルブルグと違って、街の色彩が地味で、あか抜けたところがなく、ものすごく大きいとか、高いとか
広いとか、そんな建造物や場所が印象的です。  

<クレムリン> 
モスクワ川北岸の丘の上にたつクレムリンは、ロシア語で城塞を意味し、20の城門と大小の塔を持つ赤い城壁に囲まれています。

   
モスクワ川から見たクレムリン 
城塞によって、しっかり防御されて
いる様子が分かります。 
  ウスペンスキー大聖堂と塔   「大会宮殿」 
共産党大会を開くために作られた
大会議場や宴会場を持つ
現在は、バレエなどの公演にも
使われる 

 

「クレムリン」という語はもともと“城砦”の意味で、モスクワだけでなく中世以来のロシアの都市には、クレムリンが
残されているところがあります。 
城壁の内部にはウスペンスキー大聖堂など、帝政時代の宮殿や聖堂などの建物がならんでいます。 
クレムリン
には、20の城門と大小の塔があり、最も高いトロイツカヤ塔の門は、ナポレオン軍がクレムリンに入城し、
また敗走したところです。
観光客がクレムリンに出入りできる門は2ヶ所だけで、その1つボロヴィツカヤ塔をくぐって中に入ったところにあるのが
「武器庫」とよばれる博物館で、武器の他に馬車や王冠、宝石、衣装などロシア帝国の宝物を見る事ができます。 
なかなか見ごたえがあり、ロマノフ王朝の栄華を偲ぶ事ができます。

プーチン大統領が執務している大統領執務室なども、同じクレムリンの敷地内にありますが、もちろんそこは
立ち入ることはできません。
17世紀に時計が取り付けられたスパスカヤ塔は、現在公用の入り口となっていて、一般は入場できません。 


<赤の広場> 

赤の広場の「赤」とは色のことではなく、ロシアの古い言葉で「美しい」 という意味になります。
共産党というと赤というイメージなので、私には「赤」が「美しい」という意味には、なかなか結びつきません。

この広場はソ連時代に、メーデー行進や軍事パレードなど、テレビのニュースにもよく登場した広場です。
広さは7万3000平方メートルで、だだっ広いです。 
周りはクレムリンの赤い城壁と、赤レンガの国立歴史博物館やグム百貨店、聖ワシリー寺院に囲まれています。


     
赤の広場の一角にある
聖ワシリー寺院
  独特のネギ坊主の様な
塔を持つカラフルな寺院
  お菓子の家のようです。
9つあるそれぞれの塔は
独立した建物です
  17世紀にイワン雷帝の命により
建設されました

 

ロシア表紙に   このページ