Jardin de Claude Monet  

花々に囲まれたピンクの壁の家は、1883年からここが気に入って住み始めた画家クロード・モネの家です。 
モネは、シスレー、ルノワール等と知り合って印象派のグループを作った、印象派を代表する画家の一人です。
当時43歳だった彼は1926年に86歳で亡くなるまで、セーヌ川とエプト川の合流地点・ジベルニーが気に入り、
この家と庭を愛し続けました。 特に庭には力を注ぎ、「花の庭」と「水の庭」を作り、たくさんの絵に描き残しました。 
家の中には、彼が使っていた家具や食器に加え、多くの日本の浮世絵が展示されていたのには驚きました。
彼の作品はほとんどなく、意外なほど多くの日本の浮世絵を、ここフランスのジベルニーで見ようとは思いませんでした。
6月初夏の彼の庭は、バラをはじめ花々が美しく咲きこぼれていました。 庭を設計したのはモネ自身だそうです。

         
The Clos Normand
フランス・スタイルの庭
  Le Jardin de Fleur
お花に溢れた庭
  ピンクの壁に緑の窓枠の
モネの家 

 

モネの庭の奥に進むと、トンネルを抜けて道の向こう側に出ます。サラサラと流れるせせらぎの音と小鳥の声に一瞬ホッとします。 
そしてせせらぎに沿った小路を進むと、睡蓮が浮かぶ有名なモネの「睡蓮の池」に出ます。 
パリで万博が開催され、日本が出展したのを機に日本ブームが起こっていた時代に、モネは日本に魅せられ、たくさんの
浮世絵を求め、この池には緑のル・ポン・ジャポネ(日本橋)を作らせました。  6月始めというのに、ジベルニーは30度の暑さ。 
人工的ではなく自然に近く見せるように、でも行き届いた手入れがしてあるこの庭の木陰で、人々はゆったり楽しんでいました。 

         
柳と睡蓮   明るい緑の水の庭    ル・ポン・ジャポネ(日本橋)

晩年のモネは、この水の庭で刻々と変わる光の効果を追求し描いた睡蓮の絵を、約250点残しています。  
夜明けから、朝もやたちこめる池、そして夕刻や雨の日の池、それぞれが違った表情を見せる池に魅せられたと
同時に、モネは晩年かなり視力が衰え、光を捉えながらしか描けなかったようです。 

 

フランス表紙に   ページ