エカテリーナ宮殿 Catherine Palace   


サンクトペテルブルグの郊外、プーシキン市(ツァールスコエ・セロ)にエカテリーナ女帝の宮殿があります。 
18世紀に建てられた石造りの小さな宮殿を、エカテリーナ2世が、華麗なバロック様式の宮殿に大改築しました。 
中でも琥珀の間は有名で、写真は禁止されていたので撮れませんでしたが、450kgの琥珀を用いて最近修復されました。 
贅を尽くした55の部屋から成り、内外装には、純度の高い金が多く使われたと言われます。
ロシアの建物の色彩が、こんなにも華やかだとは思ってもいませんでした。 
寒さ厳しい大地と政治形態から、何となく暗いイメージが先行していましたから。 

 
  壮大なエカテリーナ宮殿の 外壁の全長は740mにおよぶ   白・ブルー・金のコントラストが青空に映える

このエカテリーナ宮殿を、江戸末期に漂流してロシアに流された大黒屋光太夫が、幾多の困難の後訪問しています。
井上靖の「おろしや国酔夢譚」の中に、女帝エカテリーナへの拝謁希望が叶えられ、光太夫が夢見心地で豪壮な宮殿内を
進む様子が書かれています。
「赤大理石の間、青大理石の間、肖像画で埋め尽くされた間、琥珀の間」。 
エカテリーナ女帝は、光太夫の苦難の漂流談を聞き、「可哀そうなこと」と同情します。
その後女帝の計らいで、光太夫一行漂流民が帰国を嘆願してから苦難の10年後、何とか無事日本に帰国します。 
16人だった一行の内大半は亡くなり、帰国の思いを叶えられたのは僅か二人で、その上、ようやく帰国しても日本は鎖国政策のため 
二人は後半生、郷里の土も踏めず江戸に幽閉され一生を終えました。 

鏡や金箔を施した豪華な内装
この大広間<祝賀の間>では、
仮面舞踏会などが催されたという
右端は、装飾タイル製のペチカ
豪華な宮殿と言えども、ロシアの冬は
寒かったでしょう 

 

ロシア表紙に   このページ