サンクトペテルブルグ St.Petersburg  

7月7日、七夕の日に初夏のロシアに向けて   
出発しました。
JAL直行便10時間のフライトの後、モスクワ
・シェレメチェヴォU空港に到着。 
そこから国内線に乗り換えサンクトペテルブルグへ
向かうのですが、バスで2,3分の国内線ターミナルに
行くのに、迎えのバスはなかなか来ず、延々と
待たされました。 ロシアの人の第一印象は
無愛想でぶっきらぼう に尽きます。
空港ロビーにはゴミが散らかり、雑然としています。
飲食しながら仕事をしたり、仲間同士で
大声でしゃべるロシアの空港職員に
驚きながらも、アエロフロート便に乗り換えました。 
機内は、体の小さな日本人の私にでさえ窮屈な席
ですから、体格のよいロシアの人達には
さぞ大変だろうと思いました。 

 
シェレメチェヴォ空港

しか〜し、そんな気分をカラリと吹き飛ばしてくれるような美しい都・サンクトペテルブルグに到着です! 

ロシア第2の都市サンクトペテルブルグは、バルト海、フィンランド湾の奥にネヴァ川が注ぐ位置にあります。
ロマノフ王朝時代は帝政ロシア時代の首都で、1703年ピョートル大帝時代、スウェーデンの進入を防ぐための
ペトロパブロフスク要塞の完成と同時に誕生しました。
1712年、モスクワから遷都し1918年再びモスクワに遷都するまでの約2世紀のあいだ、ロシアの政治、経済、
文化、芸術の中心でした
緑豊かな美しい街並みに、18,19世紀のバロック、クラシック様式建築が一層の趣を添えています。 
ロシアの建物が、こんなに美しい色彩に彩られていたとは、驚きでした。
何となく暗いイメージが先行していました。 しかし、それはやはりサンクトペテルブルグならではの事でした。

「北のベネチア」とも呼ばれ、65本の川と100余りの島を約500の橋で結んでいる水の都ですが、
デルタ地帯に発達した街なので、ピョートル大帝は湿地に街を建設するのに苦労したそうです。 

夏のサンクトペテルブルグの日没は遅く、23時になってやっと太陽がバルト海に沈んでいきます。
あたりが暗闇に包まれるのは、午前0時を過ぎていました。

ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』は、サンクト・ペテルブルクのごく狭い区域の中で物語りが展開していきます。
サンクトペテルブルグの大通り・ネフスキー大通りを歩いていると、どこかその辺りから小説の主人公・ラスコーリニコフが
下宿から出てきそうな気がしました。 

<聖イサク寺院> 

   輝く黄金のドーム    豪華な内部

 

聖イサク寺院は、ピョートル1世の守護者とされる聖イサク・ダルマツキーを祀ってあるのが、名前の由来です。 
世界でも3番目に大きな聖堂で、その黄金の丸屋根は遠くからでも光り輝いています。
内部の装飾は素晴らしく、内装に大理石や孔雀石など貴重な石材を使い、ロシアを代表する画家たちによる
絵画およびモザイク作品や彫刻が飾られています。 

<血の上の教会>

スパース・ナ・クラヴィー聖堂は、 『血の上の聖堂』という別名を持つ聖堂です。
皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたその場所に、息子であるアレクサンドル3世が建てたので、こういう別名を
持つ聖堂になりました。 
色彩の豊かさが、とても特徴的な建物で、モスクワの聖ワシリー寺院に似ています。 

   
この独特の外観は、
9個の丸屋根を持っている
  アラブの王様のターバンを
思わせるカラフルさ
  グリボエードフ運河の
脇に立つ教会


<街の風景> 

 

騎馬像のピョートル大帝像   市民に親しまれている
ピョートル大帝像
2m近い身長があったそうです。

                                                             

   
記念写真を撮る、新婚カップル 
ロシアでは最初に結婚宮殿にいき、
結婚証明書にサインします。
その後、観光スポットなど市内の
2,3箇所を車でまわり写真を撮り
シャンパンを開け、レストランかカフェ
あるいは自宅で披露宴を行うのが
一般的だそうです。
初夏のロシアではこのような幸せ
いっぱいのカップルにアチコチで
出会いました。
中世衣装の人達は、一緒に撮影すると
ワンポーズ40ルーブルです。 
かなり暑い中、大変な仕事です。
  この尖塔はペトロ・
パブロフスク寺院です。
ペトロ・パブロフスク要塞の
中心にあります。
 ピョートル大帝をはじめ歴代の
皇帝、皇后の石棺が安置されて
います。
  ニコラス教会

淡いブルーの外壁に、白い柱や
窓、そして金の屋根 
美しい建物でした 

 

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