ようこそ管理人ア太郎の小屋へ

初めまして、凸凹広場・管理人のア太郎といいます。
まあ、お茶でも飲みながらユックリ…、と言いたいところですが、私の姿は見えず、ただ、ツブヤキとホザキが聞こえてくる小屋でして、気持ちが悪ければそっと閉じてください。面白かったり、コノヤローと思ったりしたら、メールなど冷やかしに送ってみてください。

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INDEX
 
東京新聞に掲載
2021.2.8
新老人を詠む
2019
田舎の眺望
2016.12


コロナ禍の在宅血液透析が新聞記事に 

 コロナ禍での在宅血液透析の患者として取材を受ける。その記事が2021年2月8日の東京新聞朝刊に掲載。

 


新老人を詠む  

 古希の誕生日に 2019・3・10
コキコキと骨のきしみや古希の春新老人のしずかな門出

 免許証返納 2019・4・5 
眼を煩い免許返納新老人体のためにと言い聞かせつつ

 運転履歴証明証 2019・4・5 
運転歴五十年の証一枚に免許証に似て非なるカードかな

 マイカーを手放す 2019・4・8 
二十年走り続けたわが愛車手放す四月春風寒く

 バスで席を譲られる 2019・4・12 
白いひげ杖をついての新老人席を譲られしばし戸惑う

 


夕焼けと三日月・一番星
(2016.12)

2016年12月3日・4日と、故郷の飯田市に行った。飯田市といっても、南アルプス(赤石山脈)の標高800mに位置する限界集落である。昔は上久堅村だった。行ってみると剪定した枝葉が山と積まれていたので、久しぶりに焚き火を堪能した。3時間ぐらい燃やし続け、全部燃やし切った。火への郷愁は強く、都会では味わえない、開放的な気分になる。火をいじるって、古代人の一番のステータスだったのだろう。
 夕方、南西方向(木曽山脈)の夕焼けに、三日月と一番星が見事だったので、iPadでカシャン。
 満天の星空は撮影し損なった。又の機会に。
 翌日の朝、同じアングルでカシャン。朝霧にけぶる山並みも美しかった。



W杯TV観戦記
(2002.7)

ブラジルが優勝して幕を閉じたW杯。私は、運不運関係なく常にテレビ観戦者であった。トリミングされた画面では臨場感はあまりないが、大写しにされたり、リプレイで確認できたり、競技場とはまた違う楽しみ方ができた。私自身まだまだ興奮さめやらぬところだが、すばらしい戦いが展開された裏で、ちょっと気になったことを3つ書いてみた。(2002.7.1)
 反則の多さ
 ユニフォームを引っ張る、手で押しのける、背面からの靴底を見せたタックル、審判を欺くシミュレーション。なんと反則が多かったことか。そしてテレビ画面にその行為が大写しにされても、解説陣は褒めこそしないが当たり前のようにいう。反則も戦術のうちという考え方には賛成できない。特に一次リーグに多かった。日本チームは最悪のワーストワン。もらったカードの数が少なかったということで、最後にフェアプレー賞3位とは笑いものである。
 私たち少年サッカーの指導者は、子どもたちに日頃から反則については厳しく戒めている。技術や体力の勝る者に反則で対抗する姿勢は、サッカーセンス、サッカー技術の向上に、弊害はあってもプラスにはならないからである。子どもたちに夢を与えたなどと言ってのける解説者は、この反則を見習う子どもたちが出てくることがまるで分かっていない。反則で身を固めた将来の日本サッカーが、世界の鼻つまみ者にならなければよいが。
 審判への言い掛かり
 テレビの画面では、選手が中心で審判の居場所がつかめない。どこの場所で、どの時点で、誰に向かって笛を吹いたか分からない。また反則を認めてもプレーを続行させていることもある。私たち審判の経験者は流れからおおよその見当は付く。だが、解説陣は、自分の未経験を棚に上げ、切り取られた画面からは判断付かない正確なジャッジにまでクレームを付ける。それが、家庭で、飲み屋で増幅していく。確かに未熟な審判による明らかなミスジャッジはあったが…。少年サッカーでは、子どもたちに、どんな場合であっても審判へのクレームはしないよう指導している。今後はジャッジに対する無責任な解説が行われないよう、国際審判の経験者を必ず解説陣に加えてもらいたい。
 主審と副審は、常にプレーをしている選手を間において判断している。故意か故意でないかも大きな基準だし、前後の流れも見なければならない。本来走り込んでいなければならない場所に走り込めなかった審判のジャッジミスは、責められても仕方ないが、瞬間の判断は審判に委ねるしかない。
 しかし余談だが、不可解なジャッジの中で、テレビでも問題にされなかった場面を一コマ。それはPK戦で韓国が勝ったときのキーパーである。キックの前に3歩も早く飛び出してボールをとめたシーンだ。私が副審なら、旗を揚げやり直しを命じていただろう。
 近代サッカーの落とし穴
 サッカーの醍醐味は、イマジネーション、アイデア溢れるプレーが見られることだ。今回のW杯でも、古豪、強豪といわれるチームにその神髄が見られ、最後まで楽しく観戦できた。だが、日韓のように近代サッカーと称して、技量で上回る相手を組織的につぶし、最後は精神力で体力勝負に持ち込むスタイルは、悲壮感ただようロボットのようで、胸が痛くなり楽しめない。まず一対一のレベルアップを基礎に、ゴール前でのアイデア溢れるダイナミックなプレーを見せてほしい。そして、選手も観戦者もともに楽しめるサッカーになってほしい。子どもたちにも自分で考えるサッカーを指導している者として、日本のサッカーの将来を手放しでは喜べない。


オトコの食卓
(2002.5)

 女房が10日ばかり家を留守にした時のことだ。兵庫の娘の家へ行っていた訳だが、家には、会社勤務の息子がいるだけ。それも残業残業で、夜中に帰ってきて寝るだけ。いろいろ言い付けて女房は行ったのだが、面倒くさいことばかり。住居と一体の事務所で仕事をしている私にとって、まず、3度の食事のことを考えた。妙案が浮かんで、早速納戸からホットプレートを掘り出した。一番奥で、上には何やらいっぱい載せられていたホットプレートは、掘り出すという表現がピッタリの状態だった。
 我が家のホットプレートは、食い盛りの子どもたちがいた時に買った物だから、結構大きめである。テーブルにセットし、醤油、塩、コショウを傍らに置く。私は元来醤油味が大好きだ。これだけの調味料で、何でも食べられる。キャベツ、玉ねぎ、ニラなどがあったから、あらかじめきざんでおく。これで何度も厨房へ出入りする必要はなし。
 最初に食べたのが、昼食のトースト。食パンは冷凍。何とか2枚切り出して、そのままホットプレートにのせる。片面がすぐ焼ける。ひっくり返して、焼けた面にマーガリンを塗る。ハムがあったから一緒に焼く。カチカチの食パンが、いい色に焼き上がるまで3分ぐらい。火を通したハムをのせ、ホットなハムトーストの出来上がり。トースターよりフックラサックリ。ホットプレートって遠赤外線効果があるのかな、なんて感心しながら美味しく食べる。野菜も、醤油を直につけながら焼いて食べる。ホットプレートの焦げ、汚れは、キッチンペーパーを濡らして拭きとるだけ。油もいらない。食べ終わっても、片付けるのは、箸と取り皿1枚だけ。してやったりと一人でほくそ笑む。
 味をしめるとバリエーションが豊かになる。冷凍イカをさばいてポッポ焼き。でもこれが一番ホットプレートを汚す。一回だけ、ビール片手に息子と一緒にやった。とろけるチーズをのせたトースト、目玉焼き。焼きそばは、野菜と麺を別々に焼く。そして別々に食べる。ソース焼きそばがスナック焼きそばに変わっていく、その全プロセスを食す。ご飯物だと、残ったご飯を炒飯にする一手。私の炒飯は、ごく簡単。ご飯を炒める。炒めながら塩を少々、醤油をかける。オカカを混ぜる。最期に生卵を落としてかき混ぜる。保温にセットして美味しく食べる。おかずは、何でも火を通して食べられるものを探して一緒に焼くだけ。毎日バーベキュー料理ということか。
 冷凍庫に切り餅があった。いつから入っているのか分からないが、かなり古そう。これもホットプレートへ。さて、古い冷凍の切り餅は、磯辺も安倍川も美味くない。とっておきの食べ方を教えよう。ホットプレートで凍ったままでいいから焼く。表面がひからびているからうまく焼けないだろうが、芯がなくなる頃バターをのせる。バター焼きになって柔らかく焼き上がる。皿に取って、さてその後、私は醤油をたらす。バターと醤油がこんなに相性がいいとは。美味いこと請け合い。
 女房から電話があった時、状況を話してやると、なんだか言葉にならなかったようだ。そのせいか、帰宅が1日早まった。帰ってきてテーブルに鎮座しているホットプレートを見ても、何も言わない。少しは効用が分かったかなと思ったのだが、2時間後には、黙って片付けられていた。
 今度チャンスがあったら、スープ物にチャレンジしたい。乞うご期待。


青少年健全育成作文で思ったこと 
(2002.1)
 ちょっと前になるが、13年の12月8日(土)、砧区民会館で開催された「世田谷区青少年育成のつどい」で、青少年健全育成作文の入賞者表彰と併せて、金賞に入賞した作文のうち4人の朗読があった。この「健全育成作文」とはどういう造語なのか、健全育成「するための」作文?健全育成「された子の」作文?健全育成「とは何かの」作文?なのかと、あまりスッキリない気持ちで聞いていた。
 2番目に出てきた小3の男の子の作文は、車山へ登ったことを淡々と綴っていて、朗読も素直で聞きやすかった。内容は、ニッコウキスゲとの出会いを中心においたもので、多少手を入れられた様子はあったが、2カ所、私の心に残った短い文章があった。主題とははずれるからか、踏み込んだ解説的な文章はなかったのだが、小学校3年生ならではの表現があった。本当は、この子の心には、この2カ所の想い出が強く残っていたのではないかと、勝手に想像した。
 ひとつは、リフトを降りて山頂へ急な坂道を歩いて登るところである。
「ぼくは歩くのがたいへんだったけどわざと急な所などを歩きました。」
 この子は、大人に負けないよう、遅れないよう一生懸命大股に歩いていた。しかし、その反面、大人から危ないぞと注意されるような場所を選んで歩く衝動に駆られて、少し大人になった気分と、何か征服した気分で心を満たされながら、たぶん黙々と喜々として歩いていたのではないか。大人との関係、自然との関係に一歩踏み出したように感じられた。
 もうひとつは、山頂の手前の開けたところだと思うが、チョット休んで、登ってきた下の方を眺めたのだろう。
「八ヶ岳の山々もはっきり見えました。あと、雲のかげなどが、見えました。」
 雄大な自然に圧倒された後、雲の影が見えた。平地にいては、雲は頭上にある。影の形など見たことがない。それが眼下に小さく見える白樺湖や周辺に、くっきと雲の影を見ることができた。太陽と自分と、雲と影の位置関係に、気も遠くなる思いではなかったか。
 健全育成とは別に、このような感性を大事にしたい。